感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
第49回『双六が終わるとき』
2012年12月16日放送

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治承5(1181)年、平家は憂うつな年明けを迎えていた。平家を悪行三昧と忌み嫌う風潮が、国中にいきわたっていたのである。そんな折、清盛(松山ケンイチ)の頼みの綱だった高倉院(千葉雄大)Tが崩御した。わずか21歳である。安徳天皇はまだ幼く、平家は、朝廷でのよりどころを失った。力を失いつつある清盛の前に再び後白河法皇(松田翔太)が現れ、清盛を挑発する。

一方、鎌倉のもとには、梶原景時(浜田学)をはじめ、続々と坂東の武士たちが集結する。頼朝は彼らを御家人と呼び、新たな「武士の世」の政治体制の原型を作り始めていた。頼朝の国づくりを伝え聞いた清盛は、亡き義朝と誓い合った武士の世が、頼朝によってひきつがれていることを知る。それは、平家の世に揺さぶりをかけることになると知りつつ、清盛は嬉しさを感じていた。

後白河法皇と最後に対峙した清盛は、これより先は、朝廷は力を失い、武士同士が覇権を争う世になる、と後白河法皇に語る。


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第48回『幻の都』
2012年12月9日放送

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富士川の戦いでの惨めな敗戦に激怒し、忠清(藤本隆宏)を斬ろうとして転倒した清盛(松山ケンイチ)は、憔悴感に苛まれていた。そんな清盛に、棟梁・宗盛(石黒英雄)から福原から京への環都の申し出があった。

反平家の勢力は日ごとに増し、京の都を留守にするのは現実的ではなかった。宗盛の涙ながらの訴えに、清盛もついに環都を受け入れざるをえなかった。安徳天皇を頂いて福原で最初で最後の五節の会が行われ、その宴をもって京へ環都する。

環都の知らせを聞いた頼朝(岡田将生)は、清盛がなにを求めて武士の世を目指しているのか、わからなくなり、清盛の過去を知る弁慶(青木崇高)に、若いころの清盛のありようを聞く。若き日、故意に神輿に向けて、矢を射た清盛のことを聞き、頼朝は、清盛の目指す世も、父・義朝が目指し、いまの自分が目指す世も同じものであることに思い至る。

そんな時、反平家の兵を挙げた南都・興福寺を攻めた平家軍の火が興福寺・東大寺の伽藍を消失させるという事件が起こる。


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第47回『宿命の敗北』
2012年12月2日放送

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治承4(1180)年、源頼朝(岡田将生)がついに挙兵した。清盛(松山ケンイチ)は直ちに高倉院(千葉雄大)の名のもとに追討令を発す。頼朝は石橋山での戦いには敗戦するが、この挙兵をきっかけに各地で次々と反平家の武士たちが立ち上がる。平家一門内に不安が広がるが、清盛は一向に動じず、周囲の反対にも耳も貸さず福原への遷都を強引に推し進める。

同時期、頼朝のもとへは上総広常(高杉亘)ら有力な武士が続々と馳せ参じていた。力を得た頼朝は父・義朝(玉木宏)の悲願である本物の武士の世をつくることを胸に誓う。

10月20日、駿河富士川にて、平家・維盛(井之脇海)、忠清(藤本隆宏)軍と源氏・武田信義(永澤俊矢)軍が布陣するが、維盛軍は、戦いが始まる前に飛び立つ水鳥の音を聞いただけで、おびえて敗走し、源氏の一方的な勝利に終わった。

知らせを受けた清盛は怒り狂い、その姿を見せた忠清は清盛自身が、もはや武士ではない、と断言する。
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第46回『頼朝挙兵』
2012年11月25日放送

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安徳天皇の即位の直後、以仁王(柿澤勇人)は令旨を発し、平家追討の兵を挙げた。これを知った清盛(松山ケンイチ)は激怒し、直ちに以仁王、頼政(宇梶剛士)らを捕らえ、鎮圧する。そして清盛は、安徳のための都として定めた福原への遷都を強行する。

治承4年8月、以仁王と頼政に刺激された東国武士たちの思いを受けた頼朝(岡田将生)は、打倒平家を掲げて兵を挙げる。頼朝挙兵の知らせを受けた清盛の胸には、動揺・不安・怒りなどさまざまな思いが渦巻いた。しかし同時に「ついに位人臣を極めた自分と平家が、頼朝や源氏と武士の頂点をめぐって戦うときがやってきた」と考えると不思議な興奮を覚えた。保元・平治の乱から数十年、60歳を越えた清盛の体に流れる武士の血が、久方ぶりに騒ぎはじめたのだ。

同年9月、清盛は全国の武士に頼朝追討の命令を出す。伊豆の頼朝は、怯むことなく清盛軍との戦いに向かっていった。


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第45回『以仁王の令旨』
2012年11月18日放送

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後白河法皇(松田翔太)を鳥羽離宮に幽閉した清盛(松山ケンイチ)は、ついに武士として初めて天下の頂に君臨する。清盛は福原にいながら、朝廷の人事権を掌握し、高倉天皇(千葉雄大)に徳子(二階堂ふみ)の産んだ言仁親王への譲位を迫るなど、思いのまま政を展開して行く。

一方、不遇の境遇にある以仁王(柿澤勇人)は、源頼政(宇梶剛士)に接近し、武力決起による平家討伐を考えはじめていた。また伊豆でも、重税に苦しめられる東国武士たちの間では、徐々に平家への不満が高まっていた。そして義経(神木隆之介)は弁慶(青木崇高)とともに奥州藤原氏を頼り、力を蓄えつつある。頂に立った清盛は、各地で燻りはじめた反平家の火種をよそに、孤独のなかで我を失いはじめる。

治承4年、2月、かねてよりの清盛の望みどおりに、高倉天皇は譲位した。清盛は言仁親王の即位の儀を福原で行うといいだし、周囲を驚かせる。


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第44回『そこからの眺め』
2012年11月11日放送

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治承3年(1179)、清盛(松山ケンイチ)の嫡男・重盛(窪田正孝)が病に倒れた。
正義感が強い半面、心優しい重盛は、後白河法皇(松田翔太)と清盛の間に入って心労を重ねたうえ、鹿ケ谷の事件に深く傷ついていたのである。

さらに摂政・近衛基実の正室となっていた清盛の娘・盛子が病死する。
平家の柱となっていた重盛の病と、摂関家のパイプ役だった盛子の死によって、暗雲がたちこめる。後白河法皇は、盛子の所領を没収し、院は関白基房(細川茂樹)と手を組んで、平家の力を削ごうと画策しはじめる。

平家では病の重盛の代行として、時子(深田恭子)の第1子・宗盛(石黒英雄)が一門の棟梁となった。
平家一門の願いもむなしく、重盛は回復することなく42歳の若さで一生を終える。

すると後白河法皇は、すぐさま重盛の知行国を没収し、福原でこの知らせを聞いた清盛の法皇への怒りは、頂点に達する。


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第43回『忠と義のはざまで』
2012年11月4日放送

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平家を公然と批判した鹿ケ谷の首謀者に対して清盛(松山ケンイチ)は、西光(加藤虎ノ介)を斬首、成親(吉沢悠)を流罪にするという厳しい処断を下した。

重盛(窪田正孝)と経子(高橋愛)は備前国に流された成親の身を案じるが、成親は流刑先で餓死してしまう。義兄の死と後白河法皇(松田翔太)への気遣いで、重盛はしだいに疲弊していく。

そんな時、高倉天皇(千葉雄大)のもとに入内した徳子(二階堂ふみ)が懐妊したという知らせが清盛のもとに入る。清盛は全力を挙げて安産の祈祷に励み、やがて徳子は皇子を産み落とす。のちの安徳天皇である。念願の男児の誕生に狂喜する清盛。平家はこのとき王家の外戚となり、権力の頂点を極めたのであった。

そのころ、伊豆では、恋仲になった頼朝(岡田将生)と政子(杏)が北条時政(遠藤憲一)に結婚の許しを得ようとしていた…。


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第42回『鹿ケ谷の陰謀』
2012年10月28日放送

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1177(安元3)年4月。鹿ケ谷の山荘に招かれた源氏の武士・多田行綱(野仲イサオ)は、これが打倒平家の決起集会と知って驚く。西光(加藤虎ノ介)と成親(吉沢悠)の強い説得により、傘下に入る事を決意した行綱は、源頼政(宇梶剛士)を訪ねて協力を請うが、深慮の末に断られる。その上、そう簡単に倒せるほど平家はもろくないと、逆に忠告される。

一方伊豆では、父・時政(遠藤憲一)の願いどおり、平家配下・山木家への政子(杏)の輿入れの準備が進んでいた。いよいよ婚約者のもとへと向かう日、ふと何かを思い立った政子は雨に濡れる事もいとわず、来た通を引き返して頼朝(岡田将生)のもとへ向かう…。


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第41回『賽の目の行方』
2012年10月21日放送

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安元3年(1177)、加賀国白山の鵜川寺で、加賀の国司・藤原師高(菅勇毅)が僧を相手に騒動を起こすと言う事件が起きた。師高は西光の息子で、親の引き立てで加賀守の役所に就いていた。

鵜川寺の本山である比叡山延暦寺は、これを機に後白河(松田翔太)と西光を懲らしめようと、山門強訴を起こした。これを受けて後白河は重盛(窪田正孝)に武力の出動を発令、一触即発の事態となる。

重盛らは兵を率いて内裏を警護するが、押し寄せる大衆の神輿に重盛の家人の矢を討ってしまい、問題となった。矢を討った家人は処分されるものの、事態はおさまらず、打つ手を失った重盛は困惑する。都での混乱を聞いた清盛(松山ケンイチ)は、事態収束のため、ふたたび福原から上洛することを決める。


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第40回『はかなき歌』
2012年10月14日放送


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承安4(1174)年、大輪田泊が完成し、亡き兎丸(加藤浩次)が夢見た日宋貿易が始まっていた。そして清盛(松山ケンイチ)は、国のための神となるようにと、安芸の厳島神社に後白河法皇(松田翔太)と滋子(成海璃子)を参詣させる。

そんななか、後白河の側近貴族・西光(加藤虎ノ介)と成親(西沢悠)は、平家の権勢おぶりに警戒心を強めはじめていた。これに気づいた滋子は、2人を呼び出し、これからも後白河と平家の仲をとりもつようにと諭す。

ところが、安元2(1176)年7月、滋子が、35歳の若さで世を去る。すべてのバランスを保っていた滋子の死によって世は激動の時代へと動き出す。そのころ、伊豆では源頼朝(岡田将生)と北条政子(杏)が、ゆっくりと愛を育みはじめていた。


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2012年9月30日放送

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承安元年(1171)7月26日、清盛(松山ケンイチ)は、宋から得た羊を後白河法皇(松田翔太)と滋子(成海璃子)に贈り、2人を福原に招く。そうした様々な行いが功を奏し、清盛はついに高倉天皇(千葉雄大)に娘・徳子(二階堂ふみ)を入内させ、絶頂期を迎える。

その一方、検非違使別当でもある時忠(森田剛)は、平家の悪口をうものを報告せよと町に「禿」を放つ。ある席で時忠は「平家にあらずんば人にあらず」と言い、平家の繁栄を表す。

それと同じ頃、京・五条大橋では鬼若(青木崇高)がひとりの少年と出会う。それはかつての鬼若と深いかかわりがあった少年であった。


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第37回『殿下乗合事件』
2012年9月23日放送

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嘉応(1170)年、清盛(松山ケンイチ)は後白河法皇(松田翔太)を福原に迎え、日本を訪れていた宋人と面会させた。これを伝え聞いた都では、法皇が京を抜け出し、外国人と直接面会するなど異例中の異例のことと、貴族たちは驚愕する。

そんな折、摂政・藤原基房(細川茂樹)が重盛(窪田正孝)の子・資盛の無礼を咎め、侮辱を与える出来事があった。殿下乗合事件である。

摂関家と平家との間に緊張が走り、事件解決は、重盛の裁量にかかっていた。
折りしも、高倉天皇の元服定が近づいていた。冷静沈着な重盛は正しい道筋にしたがって問題の回収をはかろうとするが、事件を屈辱的ととたえた平家一門の怒りはおさまらない。

そうしたなか、時忠(森田剛)は、独自の行動を起こし、重盛の考えを無視して元房に復習する。
清盛は、ことの成り行きを静観していた。


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第36回『巨人の影』
2012年9月16日放送

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清盛(松山ケンイチ)は、京での仕事を嫡男の重盛(窪田正孝)に任せ、自らは福原に移り住んだ。同時期、後白河上皇(松田翔太)は出家し、法皇となる。

嘉応元(1169)年、藤原成親(吉沢悠)の知行国、尾張で寺社がからんだいさかいが起こる。延暦寺は成親の配流を求めて強訴を起こす事件に発展した。

側近の成親の進退をめぐって後白河法皇は判断がつかず、院御所を警備し、事態を納めようとするが、かえって支離滅裂な命を出し、朝廷を混乱させてしまった。重盛も、妻の兄である成親の処遇に迷い、混乱をおさめることができない。

それまで福原で情勢を見守っていた清盛は、ふいに平を率いて上楽、たちどころに混乱をおさめてしまう。
平家の兵力と清盛の采配を目の当たりにした後白河法皇や摂関家は、武士の武力がもはやすべてを解決する重要な力であることを認めざる得なかった。


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第35回『わが都、福原』
2012年9月9日放送

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仁安3(1168)年、病からよみがえった清盛(松山ケンイチ)は妻の時子(深田恭子)とともに出家する。
そして清盛は一門の前で港の近い福原に移り住むことを表明し、皆を驚かせた。清盛の福原移住を聞いた後白河上皇(松田翔太)は、危機感を覚え、清盛の動きを警戒する。

2月、後白河と滋子(成海璃子)の子・憲仁親王が即位する。高倉天皇である。平家の血を引いた初めての天皇の誕生であった。生母の滋子は皇太后となり、これによって、平家内の勢力均衡は微妙に変化した。

滋子の姉・時子の長男宗盛(石黒英雄)が、先妻明子の子・重盛(窪田正孝)を抑えて台頭し、宗盛の叔父で清盛の血のつながらない弟・頼盛(西島隆弘)が官位を辞任する。そのことは頼盛の心に影を落とす。

一方、伊豆では、わが子を殺され絶望していた頼朝と、北条政子が運命的な出会いをする。


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第34回『白河院の伝言』
2012年9月2日放送

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仁安3(1168)年、清盛(松山ケンイチ)が病に倒れた。寄生虫による熱病である。
廟堂の頂点にある清盛の発病の報せは、平家一門のみならず、朝廷・貴族・諸国の武士など多くの人々の心を揺るがせる。

熊野詣へ向かう途中にあった後白河上皇(松田翔太)も、清盛病の床への知らせを聞くと、政情不安をもたらすことを危惧し、急ぎ京へとって返す。

病の床にある清盛は、熱にうかされ、夢の中をさまよっていた。その夢のなかで出会ったのは、亡き実母・舞子(吹石一恵)と実の父・白河院(伊東四朗)であった。夢のなかで清盛は白河院と対峙し、対話を始める。

そのころ、源頼朝(岡田将生)の流刑地・伊豆では、北条時政(遠藤憲一)の娘、政子(杏)が少女期を迎えていた。


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第33回『清盛、五十の宴』
2012年8月26日放送

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仁安2(1167)年、清盛(松山ケンイチ)はついに最高の官職、太政大臣の地位に就いた。清盛は50歳になろうとしており、五十の宴が六波羅で盛大に行われる。その宴席に、清盛の父・忠盛が熊野でつくった末の弟・忠度(ムロツヨシ)が現れた。

熊のようなその男の出現に、一門は翻弄されるが、その宴の最中、藤原忠通(堀部圭亮)の子・九条兼実(相島一之)が現れる。

権勢をふるう清盛と平家一門を面白く思わぬ兼実は、「武家は武力をふるうことはできるが、花鳥風月を解することができぬのではないか」と皮肉を言う。

そんな忠度と兼実に清盛は弟・経盛(駿河太郎)に舞をまわせ、さらに突然あらわれた忠度に歌を歌わせる。見事に舞い、歌をうたった弟たちに、清盛は、平家は武だけはないことを思いしらせ、さらに自分も舞いはじめる。そこで、ひとつの奇跡が起こる…。


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第32回『百日の太政大臣』
2012年8月19日放送

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仁安元(1166)年、清盛(松山ケンイチ)は武士としてはじめて大納言にのぼった。前代未聞の出世に、貴族たちは反発するが、摂政・基実(忠通の子・上杉蝉之介)を後ろ盾とした清盛の勢いは止まらない。

後白河(松田翔太)はそんな清盛の動きを牽制する。一方、伊豆の頼朝は、豪族・伊東祐親(峰竜太)の娘、八重姫(福田沙紀)と恋仲になっていた。祐親は、大番役で京の清盛のもとに仕えており、その留守の間のことだった。そんな時、八重姫が頼朝の子を宿している事がわかる。頼朝は命にかえても八重姫とその子を守り抜くことを誓うが、それはさらなる悲劇の始まりであった。

京では清盛がさらに内大臣に就任、清盛はさらなる高みにのぼろうと、五節の会にて舞姫の舞を献上する事を思いつく。

そして五節の会の当日、貴族の嫌がらせで返された舞姫の代わりに、清盛と後白河上皇の前に現れたのは、乙前(松田聖子)だった。


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第31回『伊豆の流人』
2012年8月5日放送

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長寛二(1164)年、伊豆・蛭ヶ小島。
そこに18歳に成長した源頼朝(岡田将生)がいた。5年前、清盛(松山ケンイチ)の沙汰で流罪となった頼朝はこの地に流され、家人の藤九郎(塚本高史)とともに暮らしていた。

一方、清盛は、後白河上皇(松田翔太)と対立する二条帝(冨浦智嗣)の親政のもと、朝廷での力をのばし、港湾の整備、瀬戸内海の開削などに乗り出そうとしていた。

清盛は二条帝にも取り入りつつ、後白河上皇にも蓮華王院を献上するなど、朝廷内で巧みに立ち回っていた。長男・重盛(窪田正孝)はそんな父のやり方に納得がいかず、二条帝に後白河のために建立した蓮華王院へ参詣するよう進言し、清盛の怒りをかう。

そんななか、突然の病の床についた二条帝は、わが子、順仁(六条帝)に譲位し、憲仁を抱える後白河上皇の院政の阻止をはかるが、ついに崩御する。2歳の六条帝の擁立によって、ふたたび朝廷内の勢力均衡が変わりはじめていた…。


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第30回『平家納経』
2012年7月29日放送

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応保元年(1161)、崇徳上皇(井浦新)は配流先の讃岐にいた。
今は静かに暮らす崇徳だったが、弟への侘びの気持ちを込めて写経をしたため、後白河院(松田翔太)に送る。

一方、後白河上皇と滋子との間に、憲仁親王が誕生した。
時忠(森田剛)は平氏の血の流れる憲仁を東宮にしようと画策するが、二条帝(冨浦智嗣)に知られ、清盛によって解官させられてしまう。

崇徳の送った写経は、破られて送り返された。
子・重仁の突然の死の知らせに、崇徳はついに恨みの頂点に達する。西行(藤木直人)によって崇徳の怨霊話を聞いた清盛(松山ケンイチ)は、一門で経典を厳島神社に納め、一門の繁栄を祈願することを思いつく。


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第29回『滋子の婚礼』
2012年7月22日放送

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永暦元年(1160)、平清盛(松山ケンイチ)はついに公卿の座にのぼった。
それは父・忠盛(中井貴一)もなしえなかった快挙であった。平氏は一門の多くが出世し、この世の春を謳歌する。家貞(中村梅雀)や美福門院(松雪泰子)も世を去り、時代は大きく変わりつつあった。

そんな折、上西門院の女房となっていた清盛の義妹・滋子(成海璃子)は時忠(森田剛)から二条帝(冨浦智嗣)のもとへの入内をもちかけられるが、きっぱりと拒否をする。二条帝とそりが合わず面白くない後白河院(松田翔太)はある日、宮中で滋子と会い、一目でその姿と気の強さに心ひかれる。やがて滋子は五白河院の子を懐妊、平氏一門は大騒ぎになってしまう。


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第28回『友の死、友の妻』
2012年7月15日放送

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戦いは義朝(玉木宏)の敗北に終わった。
清盛(松山ケンイチ)は信頼(塚地武雅)を斬首する。

東国へ頼朝(中川大志)らと落ち延びた義朝であったが、従者はしだいに減り、鎌田正清(趙珉和)と二人だけになり、彼の舅・尾張の長田忠致(長谷川公彦)の館にかろうじてたどりつく。が、長田の裏切りを察知した義朝は正清とともに自害する。

一方とらえられた頼朝は京で清盛と対面。
平氏一門は源氏嫡男・義朝の首をはねることを論議する。池禅尼(和久井映見)は気丈な頼朝に家盛(大東駿介)の面影を見、助命嘆願して断食に入る。清盛は苦渋の選択を迫られる…その頃、常盤御前(武井咲)が、牛若丸(のちの義経)を出産する。


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第27回『宿命の対決』
2012年7月8日放送

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無事、京に戻った清盛(松山ケンイチ)だが、性急には動かなかった。
まず、清盛は中納言・信頼(塚地武雅)に恭順の意を示す為に首謀者の名簿を書き、さしだすことを提案する。平家一門は、この清盛の寛大な態度に驚きを隠せない。

清盛は名簿を家貞(中村梅雀)に持たせ、内裏へ向かわせる。
東国の粗野な源氏兵に占拠された内裏は、今や朝廷の体をなしていなかった。
朝廷を占拠した義朝(玉木宏)は、京に戻っていながら、なかなか攻めてこない清盛の態度に疑問を感じ、苛立っていた。

義朝の気持ちを他所に、清盛は宴を催し、さらに義朝側を油断させる。
清盛の本当の狙いは、敵方の気がゆるんだ隙に、幽閉されている後白河上皇(松田翔太)と二条帝(冨浦智嗣)を奪還することにあった。上皇と帝を奪われたままでは自由に動くことが出来ない。

無事、奪還に成功した清盛はいよいよ兵を動かす。清盛と義朝の対決がついに始まろうとしていた…。
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第26回『平治の乱』
2012年7月1日放送

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平治元年(1159)年、保元の乱以後、虐げられていた源義朝(玉木宏)は、貴族・藤原信頼(塚地武雅)と結託し、ついに決起する。

義朝は、後白河上皇(松田翔太)と二条帝(冨浦智嗣)を幽閉し、三条殿に火を放つ。
義朝の狙いは宮廷を牛耳る信西(阿部サダヲ)の首であった。
熊野詣に出かけていた清盛(松山ケンイチ)は、途中の紀伊で知らせを受け、即座に京へとってかえす。

一方、義朝に攻められて都を脱出し、逃亡した信西は山城の山中に穴を掘り、身をひそめる。
都では、源氏の義平(波岡一喜)が京へ戻る清盛を阿倍野で待ち伏せる策を出したが、反対された。
義朝は清盛の帰りを待っているのだと言い、兵を動かそうとしない。そんな中、山中に身を隠していた信西はついに発見され、自刃する。

早馬で京に戻った清盛と重盛(窪田正孝)が楝(あふち)の木の上に、驚くべき光景を見る。


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第25回『見果てぬ夢』
2012年6月24日放送

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出世を果たしていく清盛(松山ケンイチ)に対し、父を犠牲にしても、義朝(玉木宏)の身分は上がらなかった。いつしか義朝の心には無念の心が渦巻いていくなか、妻・由良(田中麗奈)が病に伏してしまう。
そうしたおり、義朝の嫡男・頼朝(中川大志)は初めて清盛と会い、その存在感に圧倒される。

一方、信西(阿部サダヲ)の権勢はますます増し、後白河上皇の近臣・藤原信頼(塚地武雄)は信西をけん制し始めていた。

そのころ、由良の病は重くなり、死の床に就いた妻を救うため、義朝は清盛から宋の薬を得ようとするが、由良は平氏に頭を下げてはいけないと強く良い残し、そのまま息を引き取った。

行き場を失った義朝は、常盤(武井咲)のもとへいくが、由良を失った寂しさは癒せず、今さらながら妻の支えの大きさを思い知るのだった。

信頼はそんな義朝を呼び出し、自分と手を組み、信西の首を取れともちかける。


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第24回『清盛の大一番』
2012年6月17日放送

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大学生・信西(阿部サダヲ)がとりしきる、後白河天皇(松田翔太)の政が始まった。
信西はまず手始めに内裏を修理し、宮中行事としての相撲節会を復活させるなど、精力的に政を行う。相撲節会開催は故事の復活をいうだけでなく資金集めの目的もあった。国の建て直しのため、税収入の徹底を始めた信西は、清盛を鎮西に送り、税を納めない太宰小弐・原田種直(蟹江一平)から税をとりたてることを命じる。

一方、清盛の長男・重盛(窪田正孝)は、叔父殺しを命じた信西につき従う父のやりかたに納得がいかず、父にすすめられた藤原成親(吉沢悠)の妹・経子(高橋愛)との縁談にもいまひとつ乗り気にならない。

鎮西で太宰小弐・原田氏を制圧した清盛は、そこで手に入れた茶器を使って、相撲節会で自分の名を高めるための一計を案じる。それは、その後、清盛が太宰大弐となり、さらなる出世を約束される計略となるものであった。


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第23回『叔父を斬る』
2012年6月10日放送


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清盛(松山ケンイチ)と義朝(玉木宏)に下された沙汰は、忠正(豊原功輔)と為義(小日向文世)を斬首せよ、と言う残酷な処置だった。

しかし、清盛も義朝も、時の権力者へと上り詰めた信西(阿部サダヲ)の命に逆らうことは出来なかった。清盛から沙汰を聞いた忠正は、運命を受け入れ、清盛自身が自分を斬れ、と命じる。一方、為義もまた義朝に、源氏の栄華のために己を斬れ、と語る。

そして六条河原と船岡山での斬首の日を迎えた。
ちょくぜんになっても清盛は叔父を、そして義朝は父を斬れずに苦しむが、やがて二人は苦悩の仲で決断を下す。

使命を終えた清盛を待っていたのは後白河帝からの宴への誘いだった。
後白河帝は、清盛に白拍子の舞を見せ、清盛の忠誠を確認する。

おさえられない感情を抱きながら、宴の席を去った清盛に、信西は「すべての重き荷を背負ってこの国の宝となれ」と語る。


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第22回『勝利の代償』
2012年6月3日放送

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保元の乱がついに終結した。
頼長(山本耕史)は逃げる途中に矢で重症を負い、崇徳上皇(井浦新)もまたあてどもなく山に逃れる。頼長は父・忠実(國村隼)の屋敷に救いを求めるが、門が開かれることはなく、ついに頼長は息絶える。

一方、勝利した後白河(松田翔太)側の清盛(松山ケンイチ)と義朝(玉木宏)もまた、対立した叔父・忠正(豊原功輔)と父・為義(小日向文世)の行方が分からぬまま、苦しい思いを抱えていた。清盛は忠正の行方を捜させ、由良(田中麗奈)もまた為義を探すよう指示を出していた。

数日後、さまよっていた敗軍の忠正と為義は捉えられ、清盛と義朝のもとへ戻される。
生き恥をさらすものかと抵抗する忠正だったが、清盛は、信西(阿部サダヲ)には自分から軽い罪で済むよう頼むから、今後も平氏の為に力を尽くしてくれと頼む。しかしその直後に、信西から清盛と義朝に下された沙汰は、信じがたいものだった。
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第21回『保元の乱』
2012年5月27日放送

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保元元年7月10日深夜、条項方と天皇方ではそれぞれ軍議が行われていた。
天皇方の義朝(玉木宏)と、上皇方の源為義(小日向文世)はそろって夜討ちをかけるのが最上策と上申するが、天皇方・上皇方両方の反応は異なっていた。頼長(山本耕史)は、夜討ちを恥ずべき卑劣な策と退け、信西(阿部サダヲ)は戦に勝つことだけを目的に、積極的に義朝の案をとりいれる。

翌7月11日寅の刻、ついに保元の乱の戦いの火ぶたが切って落とされる。
王家では後白河天皇(松田翔太)と崇徳上皇(井浦新)が敵対し、摂関家では藤原忠通(堀部圭亮)と藤原頼長が戦う。

この二派に味方して、源義朝と源為義の父子が、そして平清盛(松山ケンイチ)と平忠正(豊原功輔)の甥と叔父が、敵味方に分かれている。京の都の只中で、身内同士での戦いが、ついに始まったのだ。

亡き白河院の屋敷である白川殿の門や賀茂川の河原を戦場に、壮絶な戦闘が繰り広げられる。


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第20回『前夜の決断』
2012年5月20日放送

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源義朝(玉木宏)は美福門院(松雪泰子)に変わらぬ忠誠を示し、たとえ親兄弟と殺しあうことになっても帝(松田翔太)を守る為に戦うと誓う。

一方、藤原頼長(山本耕史)のもとでは、源為義(小日向文世)とその家臣らが忠誠を誓っていた。
息子・義朝が敵方についたと知り、父子の戦いは避けられないと覚悟した為義は、義朝の乳兄弟として育った鎌田正清(趙珉和)に、義朝のもとへ行ってもよいと伝える。

決戦前夜、義朝は側室の常盤御前(武井咲)を都から避難させるため、洛外の由良御前(田中麗奈)の別邸に連れていく。


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第19回『鳥羽院の遺言』
2013年5月13日放送

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1155(久寿2)年8月、巫女の"口寄せ"で夭折した近衛帝が「何者かに呪詛された」と語り始める。
一方、巫女が言うとおり目に釘が打ち込まれた天公像が見つかると、どこからかそれは左大臣・藤原頼長(山本耕史)の仕業だとの風聞が立ち始める。反論もむなしく、にわかに頼長は朝廷内での立場が危うくなっていく。

そのころ源頼朝(玉木宏)は、息子の義平(浪岡一喜)を武蔵国に差し向けて異母弟・義賢(阪本浩之)を討ち取り、源氏重代の太刀「友切」を奪い取る。これを聞いた為義(小日向文世)は激怒。為義・義朝父子の関係は修復不可能となる。



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