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感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2011.5.24記述
映画.comより

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文芸・映画評論など多岐にわたる分野で活躍する川本三郎氏が、朝日新聞社の記者時代に経験した日々をつづった著書を映画化した「マイ・バック・ページ」が、5月28日に公開される。同作で初めて共演を果たしたのが、ホリプロ所属の先輩・後輩という間柄で親交のある妻夫木聡と松山ケンイチ。理想に燃える若手記者と、その記者を挫折へと追う込む学生活動家という役を通じて、ふたりが目の当たりにした“激動の昭和”に迫った。(取材・文:編集部、写真:堀弥生)


原文はこちら


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妻夫木と松山にとって、メガホンをとった山下敦弘監督や脚本を執筆した向井康介にとっても、作品世界を彩る60年代後半の日本を取り巻く熱気は、生まれる前の“遠い昔”であるからこそ大きな壁として立ちはだかるかに思われた。ベトナム戦争は長期化の様相を呈し、国内では反戦運動や全共闘運動が起こり混とんとした世の中。そんな時代だからこそ、若者たちは不正に噛みつき、本気で世界を変えようとしていた。

妻夫木演じる沢田も、本物のジャーナリストになるために「信じる」ことを選択する。原作者・川本氏は記者時代、71年に起きた「朝霞自衛官殺害事件」の首謀者をひそかに面会取材し、シンパシーを感じたことから証拠隠滅に手を貸し逮捕された。妻夫木は、雑誌「キネマ旬報」の評論を通して川本氏を知っていただけに「こういう過去を持っていらっしゃったのか……と原作を読んでビックリした」という。

脚本に起こされた沢田と向き合う際、時代描写を意識しないわけにはいかなかった。疑問を山下監督にぶつけると、「『実際にその時代を生きた人間はスタッフにいないし、僕らがつくる60年代でいいんじゃないか』という話が出来たんです。それを聞いたときから、僕のなかでスイッチが入ったところがどこかにあった」。


新境地を開拓し絶賛された「悪人」以来、精神論での役づくりが中心になっているそうで「そのなかに川本さんに会うっていう選択肢がなかったんですよ。(出身校の)東大や新聞社へも行ってヒントをもらったけれど、会うことで答え合わせをしたくなかったんでしょうね。川本さんではなく沢田の話だととらえて、新しくつくろうとしていたんだろうと今は考えています」と説明する。

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一方、松山扮する梅山(本名・片桐優)は、どこまでもとらえどころがない。「赤邦軍」リーダーとして危ういカリスマ性を発揮したかと思えば、好青年として沢田の同僚から食事をごちそうしてもらったりしている。そんな梅山を、松山は「自分で振り返っていないんですよね。自分と革命家との距離が、だいぶ開いている気がする」と評する。ただ、虚言癖があるというのではなく「本当の言葉ではあるんですよ。人によってどんどんキャラクターを変えていく人。片桐本人はそこにいなくて、どちらかというと役がそこにいるような。だから、すごく不思議なキャラクターではありましたね」と振り返った。

ふたりにとっては、念願の初共演。昨年6月、神奈川・川崎の古いアパートで行われた撮影現場でも、深夜にもかかわらずピリピリとした雰囲気はなく、どこか喜びをかみ締めるような“熱気”を帯びていた。松山は、「繊細なお芝居がすごい妻夫木さんを、監督は『極上の普通』とおっしゃっていた。受けのお芝居がすごいので気持ちが楽になって、思い切り甘えてしまおうと思って演じました」と最敬礼。先輩・妻夫木も、「松ケンってすごく自由な人間。いつでも臨機応変に対応できる冷静さがあるし、感性に敏感に反応することって大事だなと感じさせられる」と称える。

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約40年前、多くの若者たちが“時代”に翻ろうされた。その過程があるからこそ、現代の自由がある。同作への出演を経て思うのは、「人間って結局は自分との戦い」(妻夫木)だということ。撮影中、誰ひとりとして公開を目前に控えた日本が未曾有(みぞう)の国難に直面しているとは思ってもみなかった。

だからこそ、妻夫木は「自分にできることをすべきなんじゃないでしょうか。副次的なものを求めるからこそ、間違った方向へ進んでいく。まず、自分が何をしたいかを明確にすることが大事だと僕は思います。そういったことを、この作品では描けたと自負しています」と一点を見据えながら話す。

松山も、「大切なのは自分と向き合うこと。自分のしていることが、社会の歯車のひとつであるということを忘れてはいけませんよね。僕は映画やドラマといった仕事を通してパワーを与えたいと思っているので、そこはぶれずにいきたいですね」と朴とつとした口調で語った。

かつて激動の時代を生きた若者たちは、現代の若者の姿をどうとらえ、今作の世界観に何を思うのだろうか。また、40年後の2051年、妻夫木と松山は日本の姿にどのような感慨を抱くのか。未来の若者たちが「マイ・バック・ページ」から何を感じ取ってくれることを願ってやまない。

この年代に関した特に学生運動関連などの映画を観ても結局いずれも見た後もなぜこんなことまでしても何がしたかったのかという明確な答えというのを見いだすこともできないし、彼らが目指した社会も思想も全く共感を得ることはできない。でも何かを成し遂げたい、何かできるんじゃないかと最初はだれしも純粋な気持ちだったことはわかる、でも時間が経つに従って色んな人が革命家になろうとして本当の革命と自分の欲望を混同して破滅して行ったような気がします。

でも、だから何かわからなくてももっと知りたいと思う時代でもあります。
たとえそこに答えが無いのだとしても…

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