感じる存在感
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2011.11.10記述
ZAKZAKより

原文はこちら


社長平清盛



 「江(ごう)」に続く、来年のNHK大河ドラマの主人公は「平清盛」。『平家物語』の影響で悪役のイメージが強いですが、武家で初めて政権を獲った重要人物です。

しかし、彼が日本史上でも指折りの経済手腕をもった傑物であったことは、あまり知られていません。  この連載では、これまで触れられることのなかった「経営者」としての平清盛の知られざる側面を語っていきたいと思います。



さて、経営者にとって最初の決断といえば、「どこを地盤にするのか?」。これ一つとっても、経営者のセンスが問われるところです。

 清盛がまっ先に地盤として選んだのは、当時の政治の中心である京都でもなければ、平家一門の故郷・三重(伊勢)でもありません。西日本、それも福岡(博多)でした。平安時代の福岡といえば、菅原道真が左遷された場所。その一方、日本随一の国際港・博多港を有するいわば大陸への玄関口でもありました。

 1158年、清盛は保元の乱で活躍したのち、九州を管轄する役所「大宰府」の実質的な長官である「大宰大弐」に希望して就きます。そして就任すると、博多港の拡張に取りかかります。実は、彼の目的は所領を得ることではなく、外国との貿易をさらに発展させることだったのです。清盛がつくった港は日本最初の人工港であったといわれています。

 また当時の博多周辺では、貿易から生じる富を巡って、筥崎宮・宗像宮・安楽寺(今の太宰府天満宮)といった寺社勢力と大宰府の役人がたびたび紛争を起こしていました。清盛は、この両者とも平家の配下とすることで、紛争を収めることに成功します。

 そして、貿易の発展祈願と寺社勢力牽制のため、所領の神埼荘(佐賀県)から分霊し、博多に新しい神社をつくります。それが、7月の「博多祇園山笠」や10月の「博多おくんち」といった祭りの舞台となる「櫛田神社」です。博多っ子には平清盛の業績を知らない人も多いのですが、清盛がいなければ、山笠や博多おくんちはなかったかもしれないのです

 これだけではありません。当時の博多の人々は、町の発展に尽力した平家に恩義を感じ、清盛の嫡男・平重盛が1179年に病死した際、その霊を慰めるための儀式を行ったといいます。実はそれが、現在の「博多どんたく」の始まりです。毎年ゴールデンウイークに行われる博多どんたくは、動員数200万人を超す、国内最大級のお祭りになっています。

 日本にとどまらない広い視野で地盤を選び、その博多に現在も続く伝統の礎をつくった平清盛。ここで得た経済力をきっかけに、平家は日本初の武家政権の樹立へと突き進むのです。

 ◇  ◆  ◇

 舞台の一つとなる福岡・博多でもさぞや清盛ブームで盛り上がっているのだろう、と思っていたのですが、そんな盛り上がりはほとんど見られないとか。それどころか、何人かの博多っ子に清盛について聞いたところ、「博多に関係あるの?」という返事が。

 まっ、博多っ子ってなんて薄情なんでしょう!

 たしかに、博多っ子が好きなのは、竜造寺・島津・大友らの合戦で灰燼(かいじん)に帰した博多を復興させた豊臣秀吉や、関ケ原の後、博多を町人の街としてそのまま残した黒田如水・長政親子かもしれません。

 しかし、平清盛の博多への貢献度も計り知れないものがあります。開放的・先進的な考え方は、現代の博多っ子に通じるものがあると思われますが、博多っ子のみなさん、いかがでしょうか?

山田真哉(やまだ・しんや)  
1976年神戸市生まれ。大阪大学文学部日本史専攻卒。受験予備校に就職するが退職し、その後、公認会計士・税理士に。会計学を身近な話題から探究する『さおだけ屋はなぜ潰れないのか?』(光文社新書)が160万部を超える大ヒット。会計ミステリー小説『女子大生会計士の事件簿』もシリーズ100万部を突破した。12月には平清盛本を出版予定。


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