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感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2012.11.10記述

一路、「高津古文化会館」へ向かいました。
近くには北野天満宮があってそちらはすごい人でした。
ここは関西のローカルニュースの展覧会情報で知ったんです。
丁度この日、武装風俗研究家の一澤喜久夫さんのキャラリートークが午後2時からあるということで、サンディがいないこの日行かねばいつ行くんだと言う感じだったんです(^_^)

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(写真は若一神社の楠社)

1時くらいに到着して1時間くらい始まるまで時間があるけれどどこか行くと言っても良く分からないので3階でゆっくりしておりました。時間になって2階の展示室で一澤さんの解説が始まりました。

清盛・源平の時代ポスター


甲冑の説明、刀の説明、弓矢の説明、馬具の説明、絵巻物の説明など約2時間じっくりお話してくださいました。今まで気になりつつ知らなかったことも今回改めて知ることができましたし、甲冑の変遷(馬上で弓矢の戦いから徐々に刀での戦いになるのでその変化について)や興味深かったのは、今の世は間違ったことが段々正しい事になってしまう事があって、本来間違っているのに正しくなってしまった事実がある事。

思わずこの言葉を聞いた時に時忠が重盛に対して、「正し過ぎるということは、もはや間違うておるに同じ事にござります」という言葉。いくら間違っていても周囲が正しいんだといえばそれが事実となってしまう。どれだけ正しい事を訴えても周囲がそれでは世は成り立たないといわれたらそれもまた間違った事実となってしまう(ややこしや~)

色々あるんですねぇ~。

絵巻物は平治物語の信西の巻が展示されていて(複製だと思いますが)屋敷を逃げる信西。家人たちに穴を掘らせる信西。見つかって穴から出されまだ目も動き息をしている状態で首を切られる最中の信西。首を薙刀にくくりつけて都に戻る様子。そして首検分をする様子など見る事が出来ました。

あと先日テレビでも紹介されていたデジタルカラー復元されたものと所々色がついている蒔絵(複製)が手にされてそれもまた興味深かったです。現代日本画家の先生たちが描あどもいた平安時代の装束を着た人達の絵などもありました。

終わったのが4時なのでそこから六波羅蜜寺と言うのはチョット厳しいかもと思い今回は行くのをやめる事に。とりあえずそのまま若一神社に向かいました。(ここは別に治歓喜にしなくていいので、ただし暗くなると写真撮影が難しくなるので)

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元々若一神社は清盛公が植えた楠がそびえ立っているので昼でも薄暗い感じなのですよね。
行くと楠の傍で地域のおじい様たちがなにやら焚き火をしておられました(笑)

境内では皆さんが何かの準備に忙しくしておられました…まずは清盛公の石像を拝見。お水をかけて。

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そしてそこには祇王の歌碑がありました
「萌出づるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
(芽生えたばかりの草も枯れようとする草も、野辺の草は結局みな同じように、秋になると枯れ果ててしまうのです。)

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ここには多分次回45回放送のシーンじゃないかと思われる祇王が仏御前が現れ、清盛の寵愛を仏御前に向いた為に追い出されてしまう江戸に描かれた浮世絵があるんです。私は見れませんでしたけど。この辺りから梅小路周辺に時子が住んでいた西八条の別邸があったわけです。

もうかなり暗くなりつつあるということで本日最後に向かったのはJR京都駅方面。

平重衡受戒之地


清盛の息子・平重衡が一ノ谷の戦いに敗れ、源氏に捕縛され鎌倉に送られる途中、ここ堀川八条辺りで出家をしたということで石碑が建てられたようです。いつもここを通るのは夕方以降が多くて写真を撮るチャンスがなくて…だから今日は明るいうちに写真を撮影しようと思って…。

この後、重衡は頼朝から南都の僧兵たちに連れられ斬首される事となります。

まだまだ行きたい場所があったんですけどまぁ、神戸とちがって近場なのでまた少しずつ行けたらいいなぁと思います。


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