感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2012年12月23日放送

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治承5(1181)年、清盛(松山ケンイチ)は熱病に倒れた。病は重篤で、意識を失った清盛は生霊となって西行(藤木直人)のもとへ現れた。西行と向き合い、語り合った清盛は、自分の人生の意味を知る。

一方、京で病に伏す清盛の肉体のもとへは、続々と人々が駆けつけたが、病床にあるにも関わらず、口々にこれからの心配ごとを訴える。最期のときを迎える清盛の胸を占めるのは、平家の行く末への不安よりも「武士の世」の実現ばかりであった。

清盛の死を境に、平家一門の運命は坂をころがるように変転していく。
天才的な強さを見せる武将となった源義経(神木隆之介)の軍勢に追われ、平家一門はかつての勢力基盤だった瀬戸内海を西へ西へと敗走していく。寿永4(1185)年3月、ついに壇ノ浦で決戦を迎えた。

平家の敗北を悟った時子(深田恭子)は安徳天皇を抱いて海峡に沈み、平家一門が次々に後を追った。


壇ノ浦の合戦前日…鎌倉で写経をしてるのは平頼盛。
そこへ頼朝が訪問。

「おぉ、これは鎌倉殿」

頼盛に平家の様子を報告する頼朝。

「まもなく、壇ノ浦の辺りで戦となろう。」
「直々のお知らせ、いたみいりまする。」
「頼盛殿。そなた、悔いてはおらぬのか?一門から離れ、こうして一人命存える事。」

うっすら微笑を浮かべる頼盛…そして頼盛に向かって

「平家は、常に、一蓮托生。」

毅然と言い放つ頼盛を見て頼朝は、その意味を理解出来ただろうか。
一蓮托生、たとえ傍にいなくても、違う道を進んでいるように見えたとしても、志や目的の方向性や思いが同じであること。若かりし頃、保元の戦で清盛が頼盛を戦いの場から外した事も、まさに頼盛に平家の存続を託しての事だったと思う、今こうして、戦から離れ、敵の元へいる事も、結果的には平家を守る為、それが頼盛に課せられた務めと、一蓮托生の思いであったのだと思います。

そういえばこの時は、重衡様も鎌倉にいたのではないでしょうか?
一ノ谷の合戦で源氏側に捕らえられて鎌倉に送られていたはずですから…。
まぁ、それはまたのお話?ということで…

物語はそこから遡って、壇ノ浦の戦の4年前…

伊勢の西行の庵に突然現れた清盛。
西行もビックリだけど、清盛も「ここはどこ?お前だれ?って、あぁ西行か」って感じ?(笑)

「何ゆえそのような所にわしはおるのじゃ?わしは京の屋敷にて盛国と話をしておったはずじゃ。」

このクソさぶい時期に、なんでか知らんけど「あ~ちち、あちっ!」とか言いながら(笑)
西行、「お前はもう死んでいる?つーか、死にかけてるで、生霊やで」って、清盛に宣告してあげるけど、清盛

「なんじゃ。そういうことか…」

って驚かんのかい?!からのぉ~

「何と?!」

って、遅っ!やっぱ驚くわな(笑)
ウッソー!信じられな~い。なんでなんで?と西行を問い詰めてもねぇ~

一方、本体の清盛様といえば、屋敷にて、顔は熱で真っ赤、身体から熱で湯気が…氷を持ってきて、あちらこちらに敷き詰めても全く効果なく、瞬間で蒸発しちゃう始末。それを見ている一門たちもオロオロするしかない有様。このCGすごいねぇ~マジで。

宗盛様や知盛様も気休め?ながらも扇でパタパタしているけども…(汗)
水を頭にかけてもすぐに沸騰して、消えてしまう様子に宗盛様、知盛様、重衡様、維盛様などビビリまくり!
周囲のオロオロした様子とは相反して、盛国は表情一つ変えずに、殿の様子を見ていますね。

そんなてんやわんやとは打って変わって、西行はお茶を飲み、落ちついているけれど、生霊の清盛は、落ちつかない様子で、ウロウロしております(笑)

「生霊とは、便利なものにござりまするな。飲まず食わず、眠らずとも、大事無いのですね。」

そんな西行の言葉よりも清盛の頭の中は、今、自分が死んだら、今までのみんなの志を捨てる事と同じ事になってしまう、父上、叔父上、家盛、家貞、重盛、基盛や信西、義朝、兎丸の。

「皆の志を受け取り、武士の世を作る事が、わしの背負うた使命!頼朝を倒し、再び福原に都を作るまでは死ねん!」
「その方々も、皆そうだったのではござりませぬか。やり残した事がある、果たせなかった思いがある。皆、無念であった事でしょう。されど、皆に等しく訪れるものが死と言うもの。それ故にこそ、人は命尽きるまで、存分に生きねばなりませぬ。そして、お手前ほど、それを体現したお方を私は他に知りませぬ。」

西行の言葉を噛み締めるように聞いている清盛。後白河法皇は雪を眺めながら、寂しげに、今様を口ずさんでおります。生と死の間を彷徨うかのような清盛。不安そうな一門の姿。

宋剣を突き立てしがみ付く様に握り締めている清盛、自分の命が、志半ばで終わってしまおうとする事への憤りのような、抗いたくても出来ないもどかしさに、涙がこみ上げてくるばかり。そんな清盛に西行が淡々と

「嬉しい時も、楽しい時も、辛い時に、苦しい時さえも、いついかなる時も、子供が遊ぶように、お手前は生きた。生きつくした。お手前の生きてこられた平清盛の一生、眩いばかりの、美しさにござりまする。」

もっと、生きていたかった。まだまだやるべき事は沢山あった、しかし、人間、いつか死ななければならないわけで、自分が平忠盛の子供でないと知らされてから、がむしゃらに生きてきた、一門からも冷たくされる事もあった、愛する人を助けてあげる事が出来なかった、色んな別れもあった、でも最後の最後、西行から、人から見て、平清盛の人生は、キラキラ輝いていたんだよと言われ、少し安堵したのかも知れない(実際、清盛公はどうだったのだろうね)我慢しようにも、あふれ出てくる涙をこらえる事も出来ないほどに…まるで子供のように泣きじゃくっております。

宋剣を手放した瞬間、目を覚ました清盛。
突然、立ち上がるからびっくりするやんかいさぁ~\(◎o◎)/
そして皆のほうを向いたと思ったら

「平家のつわもの達よ。比類なき、我が一門よ、聞くがよい。きっと、我が墓前に、頼朝が首を供えよ!」

そういうと、そのまま絶命してしまう。余りの壮絶な死に様、一門それぞれ驚き、戸惑う、そんな中で、盛国だけは覚悟していたかのように、ジッとその姿を見ております。これって本当にこんな事言ったのかなぁ。自分亡き後の、平家が没落して行く事を、悟っていながらも最後まで武士として毅然としなさいと言う意味を込めて、残された者達を鼓舞する為に言ったんじゃないかなと思ったりして…。

そして西行が清盛が残していった宋剣を一門のもとに持って、弔いにやってきました。
無事、本来あるべきところに収まった宋剣。そして西行は一門に対して、清盛の遺言を預かってきたと言いながら、それぞれに話しかけていきます。

「維盛殿。資盛殿。」向き直る2人に聞こえてきたのは亡き清盛入道の声…そして姿…。

「維盛…資盛…そなたたちは亡き、重盛の血を引く者。その心根の清さ、己が宝と思うて、生きよ。」
「経子。重盛にそなたのような良き妻がおってくれたことは、救いであった。重盛にも、わしにもな。」
「経盛。教盛。二人揃って一人前とは、よう言うたものじゃ(笑)。これより先も、兄弟支え合い、平家の文と武の軸たれ。」
「忠度。そなたの歌の才は、日本一じゃ。わしが認める。」

ボチボチこの辺から私の涙腺の防波堤は決壊し始めてきております。
神戸の縁の場所で、一の谷から敗走してきた忠度様の腕塚、そして胴塚に行ったので、それまで余り知らなかった忠度様の事、腕を落とされ、最期の時まで一体、何を思っておられたのだろうか、とか考えると、このシーンを見ると、どうしても感情が高ぶってきます。

「頼盛。きっと、守り抜いてくれ。父上と母上の、平家の血を。」
「宗清。何があっても、そなただけは頼盛の忠実な家人でおれ。」
「貞能。父、家貞と変わらぬそなたの忠義、甲斐甲斐しき働き、忘れぬぞ。」
「忠清。お前がおらねば、とうに一門は滅んでおったであろう。長きに渡り、よう平家の武を支えてくれたのう。」
「宗盛、知盛、重衡。わしの逞しき倅たちよ。きっと勝て。勝って、勝って、勝ち続けよ。」
「徳子。そなたほど見事な働きをした武士(もののふ)国中どこを捜してもおらん。天晴れな娘じゃ。」

ここで五月の夢が流れてくるなんて、もう完全にやばい…(T^T)グスン

「時忠。そなたなくして平氏は、平家になれなんだであろう。時忠非ずんば、平家に非ずじゃ。」
「盛国。いいや…鱸丸。(もう鼻の頭がツンと来て涙が込み上げてくるぅ)お前はこの平家と言う船に躍り込んだ鱸の如きもの。お前に巡り会えたは、わが生涯随一の恵みであった。」
「時子!そなたこそが、わしの紫の上じゃ。」

実際はそんな言葉なんてかける事もなく、当然亡くなっているんだろうけど、その思いをドラマを通じて、800年後に、藤本さんが実現してくださったんだと思います。

時子にとっては清盛様の紫の上は、ずっと、自分ではなく、明子だと思って生きてきた事と思います。
それも仕方ないと。でも、本当はきっと、清盛にとって時子と結婚すると決めた時から、ずっと紫の上は明子ではなくて、時子だったんじゃないかと。明子の残した子供達を育て上げ、そして時に、自分を鼓舞し、孤独な自分の心に寄り添い、包み込んでくれた存在、それが時子だったんだと思います。長い長い時子の、清盛に対する思いがようやくここで実ったというか、報われたというのか…。とても素敵なシーンになりましたよね。

そして西行もいなくなる…しかし、それからいよいよ、源氏による平家滅亡の戦いが始まった。

平家都落ち
慌てふためき、逃げる準備をする平家の家人たち。そして頼盛は宗清に対して、自分は他の平家たちと一緒に行かず、鎌倉にいる頼朝の所に身を寄せると言い出す。驚く宗清。頼盛の決意を聞き、自分も付いて行くと言う宗清に、裏切り者の汚名を受けるのは自分だけでいいと。その決意を受けた宗清

「承知仕りました。裏切り者の殿に付いて行くなど、武士の恥にござりまする」

本当は、頼朝自身としては、宗清も一緒に助けたかったみたいですね。義朝とはぐれた後、隠れていた自分を探し出したのは宗清で、その時の対応など、ひとかたならぬ恩を感じていたそうで、追討してる家人たちに、宗清を捜して助け出し、鎌倉に連れてきて欲しいと願いを出していたそうですが結局、平家一門と最後を共にしたそうです。この時の頼盛との別れのシーン、胸熱なシーンです。

そして、貞能は、重盛様の遺骨を掘り起こして、それを持ってあちらこちら敗走したようですね。(最終的に九州に逃げて出家したが源氏に捕まってしまうが助命嘆願がかなったそうです。とにかく、源氏に重盛様の骨を掘り返されて何かされてはならないと必死だったのですね。)

忠清も一門から離れ、伊勢で源氏を討つため、色々計画していたようですが、結局、上手くいかず、平家が壇ノ浦で滅亡した後、捕縛され斬首されたようです。

忠度様は、一ノ谷の合戦では須磨方面の守備をされておられたようですが、源氏方と戦い、腕を落とされてしまいました。そのまま敗走するのですが、近くで源氏に捕縛された時に、「平家ではない」とごまかそうとしたけれど、お歯黒をしていたらしく、無念に討死されました。死ぬ前に覚悟をしていたのか、箙(えびら)(弓を入れておく物)に結びつけられた文を解いてみると、「旅宿の花」という題で一首の歌が詠まれていました。

「行(ゆき)くれて木(こ)の下かげをやどとせば花やこよひのあるじならまし」

そして、重衡様は一の谷の合戦で、家人たちが重衡様を見捨て敗走、馬に弓があたり落馬してしまう。そして源氏の捕虜となり、鎌倉の頼朝の元へ連れて行かれましたが、彼の人となり、人望に頼朝はじめ政子も、彼を歓待したそうです。しかし、南都の人達の再三の引渡しの願いに、頼朝も引きとめ続ける事が出来ず、平家が滅亡した後、南都に送られる事となりました。途中、京で最愛の妻との再会を果たし、最後は南都へ向かう途中、木津川畔にて斬首されました。

維盛は一ノ谷の戦いで途中脱走し、出家をするがその後、那智の沖にて入水する。

そして壇ノ浦の戦いへ

船には安徳天皇はじめ、時子や経子、時忠そして盛国などが戦況を気にしておりますが、戦況は厳しいです。時忠はとにかく、三種の神器を源氏に奪われてはならないと、そしていざと言う時には時子には「草薙の剣」を持って逃げて欲しいと、そこへ、知盛がやってきました。

神妙な面持ちで戦況の様子を尋ねる経子に対して知盛

「あははは~、方々はすぐに、珍しき、東男を、ご覧になる事になりましょう。アハハハハ~」
「まぁ、かような時に悪いお戯れを」
「もはや、これまで。」

一礼して再び船の上に上がって行った知盛様…
一縷の望みのない状況の中、不安な気持ちを少しでも和らげようとする心根が、観てて心痛いです。
子供の頃、清盛を父と慕っていた牛若が、自分たちを滅ぼそうと戦いに挑んでいる、なんとも皮肉な現実を、あのような言い方で表現するとは。

そして、知盛が再び戻って行った後、時子が

「さぁ…参りましょう」

涙の中にも毅然とした姿で、安徳天皇を抱き上げ、甲板に上がって行く姿。
いろんな人が時子を演じたけれど、私はこれほどまでに凛として、気高く、単に滅亡して行く側の哀れな人達とは思えない。他の女性たちも覚悟を決めて静かに時子に従おうとしている。

資盛は紆余曲折ありながらも壇ノ浦にて自害する。

経盛、教盛の2人も壇ノ浦で自害する。
経盛様は、息子たちを一の谷で亡くし、そして、末息子の敦盛様の最期を聞いて、さぞ悲しまれた事と思われます。子供たちも平家として生き抜いて戦い抜いた事、自分よりも、子供たちが先にこの世からいなくなってしまった事の悲しみは、どれほど苦しかった事でしょう。それは教盛様も同じですね。経盛様と同じく、息子たちを一の谷で亡くし、そして壇ノ浦では、教経様が逃げ惑う(それがかっこよく八艘跳びとか言われてるけど)義経を追い詰めるけれど、結局捕まえられず、源氏の兵2人を道連れに海に入水しました。息子と父親どちらが先か後かわからないけれど、経盛様、教盛様、最期まで兄弟一緒だったことは寂しくなかったのでしょうか。

そして宗盛様、壇ノ浦で家人に海に突き落とされたと言われてますが、泳ぎが出来た為に沈む事が出来ず源氏に捕まってしまいました。平家物語などでは鎌倉の頼朝に命乞いをしたとか、色々ヘタレの代名詞のようにかかれておりますが、実際はどうだったのでしょうか?とにかく、家族を思い、結局、息子宗清ともども斬首される事になりましたが、最期まで息子宗清の事ばかりを心配していたようです。ヘタレだったかもしれまいけれど、本当に心優しく、愛おしい人だったと思います。

経子は壇ノ浦で時子達と共に入水したと。徳子様は入水したけれど源氏に捕まって京へ送られ出家して人生を終えました。

時忠様は、神鏡を守った功績により死罪を免れて、流罪となったがその後お許しを得たそうです。なんやかんやと世渡り上手だったのでしょうか?時忠の家族についても何か重い処罰を与えられたと言う記述はないようですね。

そして時子様は安徳天皇を抱き、手には草薙の剣をしっかりと持っています。
どこに行くのじゃと尋ねる安徳天皇に対して寂しくも穏やかな表情で

「海の底にも、都はございましょう」

と応え海の底へ沈んでいきました。

そして、知盛様。獅子奮迅の働きをしましたが、いよいよ追い詰められ

「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」

そう言って碇(この時代木製だったそうです)と鎧を2枚身につけて確実に浮かんでこないように海に身を投げたといわれています。

この最期の言葉、神戸・清盛隊の知盛様に会うまではそんな意味深く考えた事もなかったのですが、清盛隊の知盛様とお会いして、知盛様がいかほどご子息を愛していらしたことか、その中でも知章様に対する愛情と思いの深さといえば本当に凄いものです。私たちに知章様の話をして、彼の事も忘れないで欲しいと言う事を常にお話され、知章様に宛てた手紙を涙ながらに読まれた。

一ノ谷の合戦で皆と合流する為に海に向かい、知盛様・知章様そして郎党の監物太郎頼方の主従三騎で敗走。海岸に出たところを、源氏方の児玉党に追い付かれ組合になった時、斬り付けられそうになった知盛様の間に割って入ったのが知章様で、相手の首を討ったが同時に、知章様と監物太郎頼方殿はすぐに討たれてしまいました。自分を助ける為に息子が自らの命を投げ打って父を助ける、息子の屍を目の前にしながらも生きながらえなければならなかった知盛様の心中。

そして最期に出たこの言葉、それまでは単純に、皆死んだからというだけの思いだったけれど、こうして知章様の事、子供たちの事、兄弟、家族の最期を見届け、もう自分の果たすべき事は全て終わったという凄く重く深い、そしてある意味、安堵感もあったのかも知れない気持ちで出た言葉だったのかもと思えてなりません。(あくまでも私の勝手な思いであります)

でも、沈んで行く草薙の剣?は何故か宋剣…
ということは?本物の草薙の剣がどこかにある?

そこへ聞こえてくるのは「平家物語」の一節。琵琶法師が弾き語っているけれど…それはあの禿のリーダー羅刹ではありませんか。しかし彼の目は既に見えていません。一体どういう人生を送ってきたのだろうか…禿の運命が気になっていましたが、解散してきっと更に辛い人生を送っていたのかもしれません。

そして、盛国…宗盛と共に鎌倉に送られたけれど、彼の選んだのは長々と生きながらえる事ではなく、自ら餓死をする事を選びました。その潔さに頼朝も賞賛したそうです。盛国の息子の盛俊様の最期も壮絶と言うか、本当に源氏の卑怯さ(戦だから何でもやっていいということにはならないと思うんですよね。命乞いをしておいて、その通りになったら、感謝するどころか逆に、油断した隙に殺すだなんて)に腹が立ってきます。

盛国様のいるところも、ドラマのようなあばら屋みたいなところではなかったと思いますけどね(笑)もう盛国にしてみれば、清盛様が死んだ時点で、彼自身も死んだも同然だったんだともいます。ようやく肉体も死ぬ事が出来ると言うだけなのかもしれませんね。

頼盛様は、鎌倉に行った後、京へ戻り、壇ノ浦での平家の滅亡を聞いた後、出家して、のち病気でこの世を去りましたが頼朝は頼盛を自分の父のように接していたそうですね。

ようやく平家が滅亡しても頼朝にとっては、弟・義経が困った存在となっているようです。
自分勝手に後白河法皇と接し、勝手に褒美を貰ったりした事が許せないと言うのか、自分の座を奪おうとする存在と思っているのか…

そんな頼朝に対して義経も憤りを感じずにはいられません

「兄上。何故わかってくださらぬのですか?私は、兄上の命に従い、平家一門を海に沈めました。その功で、法皇様から五位の位を授かりました。それはただ、源氏の世の為、私には、謀反の心などない事、何卒、何卒、お分かり下さりませ。」

頼朝にとってはこの義経の思いは、単なる恨みつらみを書き連ねているとしか思えなかったようです。
自己弁護ばかりしている様に感じたのかな?平家を打倒しろと言ったけれど、姑息な手段や滅亡させろとまでは頼朝は考えていなかったのではないかと思ったりします。義経は良かれと思ってやりすぎた、それが平家という敵がいなくなった後、次は自分に向かってくるかも知れないという思いがあったのかもしれません。

平家の者達を、どんな卑怯な手段を使ってでも殺す事の出来る相手なのだからと。だから鎌倉に入れたら最後自分の地位も身分も危ぶまれると思ったのでしょう。そして結局、義経を許す事はなかった。

それに落胆した義経。

「兄上、幾ら心を尽くしても、わかってくださらぬのですね。」


そして義経は決意します。頼朝を討つべく兵を集めます。
頼朝は、頼盛の書いた「一蓮托生」という文字を眺めています。
一蓮托生…源氏には昔から平家のような一蓮托生と言う言葉は皆無だったかも知れません。
家族であっても、常に、疑念があると殺し殺される姿を目の当りに見てきたわけですから。
信じたくても信じられない、平家とは確実に違うこと。

そこへ京から僧がやってきたと…
誰かと思えば、それは西行じゃありませんかぁ~。

頼朝は誰?この人?という感じですが、会って何を言い出すかといえば突然歌を歌いだしましたよ

「願わくば 花の下にて春死なむ その如月の望月のころ」

頼朝、西行の歌に痛く感嘆しておりますが西行は謙遜しております(笑)
その話の中で西行の中に入ってきた言葉が「京随一の武士(もののふ)」

「京随一の?(笑)お戯れを。」

ポカーンとしている頼朝に対して西行

「京随一、いや、日本一の武士とは誰の事だ?お手前は既にご存知のはずだ。」

きっと、頼朝が思い浮かべたのは清盛。またも西行が清盛になり変わりましたぞ(笑)

「頼朝。我が倅どもがきっと、そなたを討ち取る。そしてそなたが首を、きっと我が墓前に供えようぞ。」
「さて、そうは参りません。」
「そう言うと思うたわ。(笑)しからば、頼朝。真な武士とは如何なるものか、見せてみよ。」

岡田さんの願いで叶った清盛との対峙シーン。言葉を言わずとも清盛が頼朝にバトンを繋いだ瞬間。現実にはありえないことだけど、きっと頼朝は自分が鎌倉に都を作ったときから既にリスペクトしていたと思いますし、その後も清盛のなそうとした宋との貿易も引き継いでいますからね。(兼実様に相当ネチネチやられていたみたいだけど、きっと清盛のすごさを改めて実感した事でしょう)

余韻に浸っていると西行が「それでは」と現実に引き戻されちゃいました。
言いたい事言って、さっさと帰っちゃいました(笑)その後、政子が近所の子供たちがそこかの僧から銀の猫を貰ったみたいで遊んでおるといいながら頼朝の所へやって来ました。そんな話は上の空の頼朝、髭切を握り締め

「これが、私の選んだ道。武士の栄華へと続く道じゃ。」

そんな殿を頼もしく見守ってる政子様。そして本格的に義経追討を始める頼朝。
苦戦する義経、弁慶が全力で義経をサポートするが、多勢に無勢な義経軍。衣川館に追い詰められ、義経は館にたてもこり、弁慶は義経に誰人も近寄らせないために盾となり、果てる。

「兄上。これが我が運命(さだめ)なら、潔く受け入れましょう。されど、源氏の世に捧げるこの命、決して無駄にはしてくださりますな!」

そうして義経は自害して果てました。
建久元年、頼朝は30年ぶりに上洛した。そして、後白河院と対面(初めてか?)
おもむろに双六盤をおいて対局するけど、頼朝って双六とかしたことあるんだろうかね?(笑)
その1年後、後白河院は66歳で生涯を終えました。

「かくゆう私も、その9年の後に死に、その後、室町に幕府が置かれ、足利の世となってようやく、清盛が、その礎を築いた国と国との貿易が行われる事となった。」

小兎丸は兎丸の思いを継いで船に乗り貿易をしていたのかも知れない。かつての兎丸のように勇ましく雄たけびを上げる小兎丸。あの掲げている太刀はひょっとして…?(笑)

そして、海の底にあの懐かしい宋剣が突き刺さっております。それを若き高平太が見つけ引き抜きます。
懐かしむように…するとどこからか懐かしい声が

「清盛!来とるんやったら来とるって早う言わんか!」

兎丸の声です。そして扉が開くとそこには懐かしい一門たちが清盛様をお出迎えしています。
皆、穏やかな表情で清盛の帰りを待ちわびているような…

清盛目線のカメラアングル、座った清盛からの時子や重盛はじめ、みんなの表情を映して行きますが、これはカメラマンのサプライズでキャストは予定してなかったので戸惑ったようですがステキな表情ですよね。

「海の底にも、都はござりましょう」

満面の笑みの高平太の顔が印象的な最後となりました。
単に滅亡して悲しいだけではない、見ている人達にとってこの最後の海の都での再会は確かに救いとなりました。こんな見ごたえのある大河ドラマ、そしてみんなが苦しみながらも活き活きと生きて死んでいったドラマ、全くこの時代を知らなかった自分に、色んな事を教えてくれたドラマ、平清盛というドラマが放送するとわかったあの日、絶対ケンちゃんに演じてほしいと願って叶った時、そして本当に平清盛を生きてくれて感謝。

このドラマですっかり平家ファンになりました。
全くと言っていいほど平家の事を知らなかった、この時代のことを難しいと敬遠していた自分が、本当に色んなことを学んで、平家縁の場所に行き、そして改めて自分のルーツの一端を知る事が出来たなんて、それだけでも私に凄い影響を与えてくれた作品でした。

ドラマが終わってもきっとこの気持ちは変わらないだろうし、まだまだ縁の場所で行ってないところもあるから色々行きたいなと思います。

本当にこのドラマを作ってくれたスタッフとキャストに感謝します。






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