感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
『平家物語』では、平家の中で、どうにもこうにもヘタレな棟梁のレッテルを貼られている(清盛隊のblog検索で「宗盛無能」というワードも合ったらしいですからね)のが平清盛の三男・平宗盛ですが、その宗盛様が息子・清宗と共に義経に斬首された場所に行って参りました。(2013.10.3)

20131003宗盛首洗い池001



丁度、この日同じ滋賀県にサンディが仕事で行くのでついでだから送って行ったあと、そのまま現地に向かいました。あいにくの天気で少し心配しましたが何とかネットなどで場所を確認しながらその付近までたどり着きましたが…

地図


所在地:滋賀県野洲市大篠原

京都の方から竜王方面に向かって8号線を走ると大篠原へ入ります。目的の場所は進行方向の対面側にあります。
目印としては進行方向左側に185号線に入る道があり、その前にラーメン屋、その少し先にファミリーマート(一応店はその場所から目視できます)が見えます。
185線の対向車線側にこのような会社がありますのでここを目印に捜してください。

201310091700431f1.jpg


この建物の脇に一応写真のような立て看板がありますが「えっ?どこ?」と思ってしまいます。
写真のように、目印の会社の脇の細い道を(一応、道です)進んでください。若干「ホンマにここでええの?」と不安に感じるかと思いますが、そこをこらえて進んで行って下さい。


20131003宗盛首洗い池005


しばらく進んで行くとようやく少し開けた場所が出てきます。まず目に入るのは表示板。間違いなくここがその場所だと安心しました(笑)

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平家終焉の地
平家が滅亡した地は壇ノ浦ではなくここ野洲市である。平家最後の最高責任者平宗盛は源義経に追われて、1183年7月一門を引きつれて都落ちをした。西海を漂うこと2年、1185年3月24日壇ノ浦合戦でついに破れ、平家一門はことごとく入水戦死した。しかし一門のうち建礼門院、宗盛父子、清盛の妻の兄平時忠だけは捕らえられた。宗盛父子は源義経に連れられ鎌倉近くまでくだったが、兄の頼朝に憎まれ追いかえされ、再び京都へ向かった。

途中、京都まであと1日程のここ篠原の地で義経は都に首を持ち帰るため平家最後の総大将宗盛とその子清宗を斬った。そして義経のせめてもの配慮で父子の胴は1つの穴に埋められ塚が建てられたのである。
 
父清盛が全盛の時、この地のために掘った祇王井川が今もなお広い耕地を潤し続け、感謝する人々の中に眠ることは宗盛父子にとっても野洲町が日本中のどこよりもやすらぐ安住の地であろう。 現在ではかなり狭くなったが、昔、塚の前に広い池がありこの地で父子の首を洗ったと言われ「首洗い池」、またあまりにも哀れで蛙が鳴かなくなったことから「蛙鳴かずの池」とも呼ばれている。

入り口があんな感じなので不安に感じましたが実際、その場に来て感じたのは見て貰うと気づくと思いますが、飲み物などのお供えものなどが沢山置かれています。こんな分かりにくい場所にもかかわらず、来られる方がいるんだなぁって。少しホッとしたというか…

そして目に付いて驚いたものが…

20131003宗盛首洗い池006


なんと、神戸・清盛隊の宗盛様の写真が飾られている…これは驚きました。
一体誰がお供えしたのかわかりませんが、ちょっと笑えたのと同時に嬉しくも感じました。(硬貨などもお供えしてされている人がいるようですね)

平家物語では本当に散々な事を書かれているような宗盛様ですが、実際この場に来てみて、そして説明板を読んでると、口惜しさが沸々としてきました。もし、義経ではなくて他の源氏の者が宗盛様父子を捕縛して鎌倉に連れて行ったとしたら、きっと追い返されずに、頼朝に会えたかもしれないし(実際、重衡様は手厚く庇護されていたし)そうしたらもし同じように斬首されたとしても違っていたかも知れない。

義経に捕まったばかりに、壇ノ浦から鎌倉の手前まで連れて来させられ、挙句に追い返され、再び京に向かって移動させられ、義経の都合でこの地で斬首される事となるなんて…この時の宗盛様のお心を思うと…。

20131003宗盛首洗い池002


向かって左側が息子清宗様のお墓、右側が宗盛様のお墓といわれております。

「平家物語」「玉葉」など様々な書物で宗盛様の事はヘタレなやつ、情けないやつだと書かれていますが、本当はどうだったんだろう?人間生きたいと思う気持ち、父として子を思う気持ちは亡くなって行った平家の他の兄弟たちとなんら変わりはなかったと思う。宗盛様は宗盛様なりに精一杯、清盛様が亡くなってからも平家を守ろうとしたし、重盛様と同じようにご白河法皇と朝廷との板ばさみでご苦労も会っただろうし、捕縛されてからも、悪い噂をされながらも一部の民たちは宗盛様の心優しい部分を理解してくれた人もいたということは何より嬉しい事だなと感じました。

この地の人達が清盛様を愛し尊敬し、その息子である宗盛様の事を思いやってこうしてこの塚を守ってくださっているということはまたも平家が単なる奢り高ぶっていたわけでもなく、民の事を考えていたんだということが実際感じられて良かったです。
本当はもう少しゆっくりしたかったのですが、凶暴なハチを見かけたので「こりゃ、やばい」と思って泣く泣くその場を離れる事になりました。蛙鳴かずの池もわからずでした(それが残念)

ちなみにここからすぐの場所には遮那王(義経)が元服した場所があるそうですが、行ってませんのであしからず。

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