感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2014.3.5記述
東洋経済より

東日本大震災後の福島を舞台にした映画『家路』が3月1日から全国公開されている。松山ケンイチ、内野聖陽、安藤サクラら豪華キャストの出演も話題の人間ドラマだ。

 厳しくも美しい自然の中で、農作物を育て、先祖代々受け継いできた土地を守りながら生きてきた一家。震災直後に警戒区域に指定され、無人となった故郷に弟・次郎(松山ケンイチ)が帰ってくる。そこで彼はたったひとりで田を起こし、苗を育てる。一方、震災によって、先祖から受け継いだ土地を失い、家業だった農業もできなくなった長男・総一(内野聖陽)は、鬱々とした日々を過ごしていた。そんなある日、長きにわたって音信不通だった弟が帰ってきたと知った総一は、警戒区域に次郎を迎えに行くことにするが――。

 深い葛藤を抱えながらも、希望を見出そうとする家族の物語を描き出した本作のメガホンを執ったのは、2007年にMIPDOCでTRAIBLAZER賞を受賞し、世界の8人のドキュメンタリストに選出された経歴を持つ久保田直。本作では、ドキュメンタリストならではの視点を織り交ぜながら、「家族の絆とは?」「人間の誇りとは?」を観客に問いかける物語を紡ぎ出している。そこで今回は、本作が劇映画デビュー作となった久保田監督に、本作の制作の裏側について聞いた。

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原文はこちら


――本作の公開は東日本大震災から3年が経ったタイミングに重なります。

世間の雰囲気としては、震災の記憶がどんどん薄れていって、風化しているようにも感じます。それから、震災とこの原発の問題は、明らかに違う問題として考えなければいけません。心の問題は別として、震災の被災地は、神戸もそうだったように、復興することで希望が持てることがあると思うのですが、福島に関しては、少なくともあと数年間は復興すらできないのではないかという実感があります。

――野田佳彦元首相が2011年の暮れに福島第一原発事故の「収束宣言」を発しましたが、この作品でそれを意識した部分はありますか?

実はもっと前からこの作品の脚本を書き始めていたので、「収束宣言」がきっかけということはありません。ただ「収束宣言」という面に関しては、放射線の数字レベルで帰村できるようになったとしても、実際に帰村されて、生活が元どおりになるかというと、それは無理があると思います。たとえば小さなお子さんがいるご家族なんかが「戻ってもいいよ」と言われたとしても、なかなか戻れないですよ。何を信じたらいいのかわからないですし、若い人が戻れない場所は、やっぱり町として成立しないですよね。老人たちだけで生きていけるのかといえば、それはなかなかに難しいですから。そういう意味では収束どころか、何も変わっていないというふうには思います。

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3.11から3年、何が変わったか

――園子温監督が2012年に、原発事故をテーマにした『希望の国』を作った際には、なかなか出資者が見つからずに、最終的に外国資本に頼ったといいます。この映画では日本の会社が出資に参加しています。あれから1~2年経って状況は変わったのでしょうか?

園さんの『希望の国』は完全に反原発を打ち出した映画でした。彼の制作ノートを見てもはっきりとそう書いてありましたし、実際に現地の人と会って、現地の人が言った言葉をセリフにしたということですから、それがあのときの彼のやり方だったと思うのです。そのことに対して、出資者が尻込みするということはわかります。

われわれの場合も制作には時間がかかりましたが、それは単純に出資者が見つからなかったからです。出資者に説明をするときにも「福島を舞台にした映画ですが、反原発や脱原発をうたうわけではなく、描きたいのはもっと普遍的な家族のことです」と説明しました。実際に脚本を読んでもらった人もいましたが、「気持ちはわかるけども、今、福島を舞台にするということだけで難しいのです」ということで、出資を見送られた方もいらっしゃいました。そこはかなり苦しかったというか、特に劇映画を作ること自体が初めてだったので、余計に難しかったですね。

――そういった状況の中で、映画化に進んだのはどういったきっかけがあったのでしょうか?

やはり配給会社が決まったことが大きかったですね。さらに配給会社の方が、WOWOWの担当者の方と接点があったので、それをきっかけに話が進んでいった。最終的には外国の資本に頼ることなく映画を作れる状況にはなりました。あくまでも家族の物語ということで出資をしてもらえたと思います。そういう意味では『希望の国』とはケースも違いますし、映画そのものの内容も違うと思います。

――本作には、是枝裕和さん、諏訪敦彦さんと、ドキュメンタリー出身の映画監督たちが「企画協力」としてクレジットされていました。

今の会社(株式会社ソリッドジャム)を立ち上げる前、僕はドキュメンタリージャパンという制作会社にかかわっていて、そこでは諏訪さんや、(『いつか読書する日』などの)緒方さんたちと一緒にドキュメンタリーを作っていました。みんな同世代で、わりと仲良くやっていました。そんなことから、今回は諏訪さんにいろいろと協力してもらったということなのです。是枝さんに関しては、テレビマンユニオンという制作プロダクションにいた彼とは、若いときから一緒に仕事をしたりして、よく知っていました。

そんな中で2人に「今度ちょっと映画を作るんだけど協力してくれない?」と話を持っていきました。彼らは「できることは何でもやるよ」と言ってくれました。本当はプロデューサーとしてかかわってほしかったのですが、彼らもいろいろと忙しかった時期だったために、その時間がとれなかった。今回は企画協力という形で手伝ってもらうことになりましたが、脚本に関しても「こういうほうがいいんじゃない?」といった形で相談にのってもらいました。

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なぜ劇映画を手がけたか



――是枝さんや諏訪さんはドキュメンタリーから劇映画に移行してきた人たちですが、今回、久保田監督が劇映画を手掛けるにあたり、「よし、じゃあ俺も」といった思いがあったのでしょうか?

もちろんそういった刺激がゼロだったわけではありません。ただ、僕はテレビのドキュメンタリーをベースにずっとやってきたので、そのベースを崩すつもりはないのです。ドキュメンタリーだからできる面白いことはたくさんありますから。しかし、その反面、ドキュメンタリーではできないことがある、ということも実感しています。そういったことに関しては、ドキュメンタリーという形にこだわらずに、フィクションとして、演劇や映画、テレビドラマという形を考えてもいい。ある時期から、表現手段をどの形でするかについては、間口を広げて考えたほうがいいのかな、と思っていたので、そのひとつの結果が劇映画という形になったわけなのです。

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――この映画は福島でロケが行われ、おそらく多くの福島の方がかかわったと思うのですが、彼らからこういうことを伝えてほしいといった思いを感じましたか?

直接、こういうことを伝えてほしいといったことはなかったのですが、彼らからいろいろと話を聞いていく中で、こういう思いをきちんと盛り込めていけたらいいなと思ったことはありました。たとえば当時、山では、表面の土を5センチ剝がしていく除染作業をやっていました。ただ、山の場合、腐葉土がたまって、1センチのいい土になるまでに100年かかるそうなんです。つまり5センチの土を戻すためには500年かかる。そこで彼らは「500年が剝がされていくんだよ」という言い方をしていました。

この剝がした土をどうするのだろう、といったことは気になっていました。至る所に膨大な量の剝がした土が置きっぱなしになっていましたから。でも、彼らのその一言を聞いて、そんなことじゃないのだという気持ちになりました。ほかにもそういうことはたくさんあるのですが、彼らのこうした気持ちをきちんと伝えられればいいなと思いました。

――この映画で映されている福島の景色は、本当にきれいなものです。画面だけ見れば、本当に普通の風景であるがゆえに、逆説的に伝わるものがあるのではと思いました。

そのとおりです。やはり現地に行かれると、皆さんが感じられることですが、本当に景色が美しいのです。「なのになぜ?」といった気持ちに絶対になる。逆に言うと、そこがいちばん怖いところだという。そこは見ている人にもストレートに伝えたいと思っていたので、美しい自然は美しく、そこに生きている人間の姿は、そこで生きている人間の姿としてきちんととらえたいという思いで撮りました。

――松山ケンイチさんが稲作を行うシーンは思わず見入ってしまいました。松山さんが行う稲作の所作ひとつとっても、稲に対する愛情がこもっていて、その土地に根付いている感じがしました。やはりそこはこだわった部分ですか?

そうですね。人間があそこで生きられない一方で、作物も含めた自然は生きている。そのことはきちんと見せたいと思っていました。そういう意味では、種もみから田植えをする過程を、ある種の縦軸としてきちんと見せたいと思っていました。そのことを俳優陣は全員きちんとわかっていたので、僕が何を言う必要もなく、スッと入れたと思います。もちろん地元の農業指導の方の思いが伝わったから、余計にそうなったともいえます。

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手植えで水田をつくるということ


――稲作のシーンは、機械を使わずに手植えでやられたとおっしゃっていて。それゆえに、稲作に対する愛情をより深く感じました。

やはり魂の部分のようなものが、きちんとしみ出てくるような作品にできればいいなと思っていますから。そういう意味で言えば、やはり機械でバッとやってしまうのではなく、手植えでやるということは時間もかかりますし、いろんな人にも協力してもらわなきゃできないわけです。それでも「手植えでやろう」と言ってもらえたときはグッときました。見事に皆さんがそれをやってくれたので、ものすごくありがたかったですね。

――準備も大変だったのではないかと思うのですが。

とても大変でした。まずは田植えができるような田んぼにしなければなりませんから。撮影した田んぼは、みんながほったらかしにしていた場所だったので、時間がかかりました。それから種もみも含めて、稲作のプロセスをきちんと撮りたいというのがありましたので、単にそこに行けば撮影できるというわけではなく、いろいろな段階の稲を作ってもらわなきゃいけない。田んぼの水入れをするシーンも、満面にするまでは、丸1日どころではなくもっとかかってしまう。だからスケジュールをどう組むかという部分は、助監督がほんとに大変だったと思います。

――今回は、居住制限区域に指定されている富岡町で撮影が行われたそうですが。スタッフも含めて、撮影に行くのも大変だったのではないかと思うのですが。

富岡町に入るには時間制限がいまだにあるので、入れる時間帯に撮影をしました。まさか撮影許可が下りるとは思わなかったのですが、奇跡的に許可が下りたのです。やはりこの場所に立つと、いろんな思いが胸にきましたね。ですから、ここにさえ入ってしまえば、撮影自体は全然大変じゃありませんでした。俳優陣も若いスタッフも余計なことを考える暇も余裕もなかったですから。ただ、時間制限があると、いろんな意味で息苦しくなってしまうので、そういう意味では時間との戦い、ということはありましたが、それでもやっぱり納得がいくまでちゃんとやろうとは思っていました。みんなよくやってくれたなと思います。

(撮影:尾形 文繁)


野菜を作る為に土を作るということは本当に大変なことだと思います。
我が家でも、家庭菜園で小さい場所だけど、それでもやはりサンディは日々、いい土作の為に試行錯誤しております。
だから除染の為とはいえ、土を削るという行為は知らない人から見るとなんてことないことでも、それをそこまで作り育てて行った人達にとっては血肉を削ぎ取られることと同じことなんですよね。そして、その愛する場所に帰ることすら叶わず、ただ時間画だけが過ぎて行く日々。帰れたとしても風評被害や実害なのか目に見えないだけどわからない恐怖の中に飛び込む事すらむずかしい。

作品を通じて人間って、自然って、家族って複雑なようなでもそうでないような…いろんなことを感じる事が出来るといいなと思います。
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