感じる存在感
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2014.6.18記述
本の話WEBより

本の話002


山岳小説の旗手、笹本稜平氏が奥秩父の山小屋に集う人々の人生の物語を紡ぎ、新境地を開いた『春を背負って』を、監督デビュー作『劔岳 点の記』が絶賛された木村大作監督が満を持して映画化、ついに2014年6月14日・全国東宝系で公開される。

人はなぜ山に惹かれるのか。そして2人はなぜ山を描き続けるのか。原作者と映画監督が、創作の秘密に触れながら、すべてを語り尽くす――。


原文はこちら

――まず最初に木村監督は、この原作とどういう風に出会って、どこに惹かれたのか、おうかがいしたいのですが。

木村 『春を背負って』の単行本(2011年5月刊)が出た直後に、たまたま書店で手にとったんです。僕は本屋にいくと、いつも棚に並んだ背表紙だけずーっと眺めていって、何かひっかかるタイトルがあったら、手を伸ばす。このときも『春を背負って』というタイトルが目にバーンと飛び込んできて、ひらめくものを感じた。本を引き抜いて初めて「あ、笹本さんの本だ」と気づいたんです。というのは、僕は笹本さんの山を舞台にした作品は、実は全部読んでおりまして……。

笹本 有難うございます(笑)。

木村 ただ、そのときは、笹本さんの本だと知らなかったくらいで、タイトルを見ても山の話だとは思わなかった。ちょっと立ち読みしたら、山小屋を舞台にした話だったんで、すぐに買って帰って一気に読んで、「これは映画になるんじゃないか」と確信したんです。

僕が一番惹かれたのは、「背負って」という言葉です。まさにこの本で笹本先生が描かれた通り、人間誰しも、人生のある時点までいったら、みんな何かを背負っているわけですよ。これはすごく映画的だな、と思った。

笹本 タイトルにはいつも苦労するんですが、『春を背負って』は珍しくいい形で決まりました。この作品は、もともとは『オール讀物』に連作短編として掲載されたんですが、その第1作目の最後に、ゴロさんが春の小屋開きの荷物を背負って山を登ってくる場面があった。その姿が主人公の亨には希望の象徴に見えた。「あ、これだ」と感じて、そのイメージそのままに『春を背負って』とタイトルにしたんです。

木村 もちろん内容もタイトルから受けたインスピレーションを裏切らないものだったので、「善は急げ」ですぐに笹本先生にお会いして、「ぜひ映画にしたい」と申し出たんです。

――笹本先生は、そのとき、どう思われたのですか?

笹本 正直、ちょっと意外でしたね。木村監督といえば、カメラマンとして参加された『八甲田山』(森谷司郎監督)や、初監督作品の『剱岳 点の記』(2009年)など、雪山を撮らせたら第一人者という認識はありましたが、いずれもハードな題材で、そちらを得意にされているイメージが強かったもので、果たして『春を背負って』の世界観と合うのかな、気になったのも事実です。

木村 いや、それは全員思ってましたよ。こういうハートウォーミングで爽やかな作品は、木村大作には無理なんじゃないか、って(笑)。僕だけは「今に見てろ」って思ってたんだけどね。

 ただ、笹本さんにお会いしたときに、舞台を原作の奥秩父から立山連峰に変えさせてほしいとお願いしました。映画にする場合、奥秩父が舞台だと、周囲の景色も含めてどうしても和んでしまう。原作が描いている人生の厳しさであったり、逆にだからこそ感じられる人間の温かさみたいなものは、より厳しい自然のなかで撮影することで、際立つんじゃないかという狙いがありました。

笹本 私自身は、木村監督の世界観が一番発揮される場所で撮影したほうが納得のいくものに仕上がるのではないかと思い、こだわりはありませんでした。ロケーションが変わっても、この作品の本質である、山小屋での人と人との出会い、ふれあい、その中で生まれてくる温かいもの……そういったところはきっちり押さえてくださるだろうと期待したんです。

木村 映画のキャッチコピーに「標高3000m――悠久の大自然に描かれる、“家族”の物語。」とあるとおり、ものすごく温かいさわやかな物語に仕上がりました。

山小屋という場所


笹本 山小屋というのは、ある意味、非常に不思議な場所なんですよね。山小屋に来る人は、みんな“下界”では満たされない何かを求めて、山を目指す。日常の世界とは違うもうひとつの場所に行って、何かと出会いたいという期待があるんだろうと思うんです。山小屋自体が、そういう人たちを受け入れてくれる。

 私自身も、かつては、北八ケ岳の山小屋によく泊まったんですが、そういう小屋の親父さんというのは商売抜きのようなところがあって、こっちが差し入れに一升瓶を持っていくと、逆にストックの酒を出してきて、「まあ、呑め呑め」という話になる。すると早発ちのお客さんから、「いい加減にしろ」って親父さんが怒られたりする(笑)。 

下界ではまずないような人と人の気持ちの触れ合いというんでしょうか、当時は作家になろうなんて思ってませんでしたが、物書きになって、山を舞台にした小説を書くようになって、ヒマラヤみたいな厳しい山ばかりじゃなくて、こういう世界も大事にしなきゃいけない、いずれ作品にしたいなと考えていたんです。

木村 僕なんかも山小屋にいくと、1人になりたいときは誰もいない大部屋の布団で寝転がっているけど、ちょっと人恋しくなったら、談話室みたいな場所に行く。そこでは、初めて会う人とでも、ちょっとしたきっかけでどんどん話が弾んでいく。なんでそんなことができるかといえば、山に登ってくる人たちというのは、都会の垢みたいなものを、全部落して登ってくるから、人間が素なんですね。だから話していてあったかい気持ちになれるし、「今日はいい人と出会ったな」という気持ちにもなる。話に飽きたら、また寝転がって雑誌を眺めていても、誰も何も言わない。ああいう生活は都会では得難い。だから苦しい思いしても、みんな山に登るんでしょう。僕だって、山に登るのは嫌なんですよ、本当は。

笹本 そうなんですか(笑)。

木村 何だか山のオーソリティーみたいに言われてますが、スタッフのなかでも、僕が一番弱いしね。いつも「何のためにこんなとこ、こんな思いして登ってるんだろうな」と思ってますよ(笑)。でも何で登るかといえば、大自然の素晴らしさもさることながら、山に登ると、下界のことは一切忘れることができるからね。

笹本 損得を抜いた打算のないところで、人間と人間が素の状態で付き合えるのが、山小屋という世界ですよね。人生の何か大事な部分をうまくすくいあげてくれる、とても魅力的な場所だなと思います。そういう意味では、山小屋を舞台にした小説って、もっとあってよかったんだけど、これまであんまり書かれなかったんですね。

木村 本当にそうですね。原作では、ゴロさんが下界においていろいろと複雑な問題を抱えて、山にやってきて、それに亨の父である勇夫さんが、黙って救いの手を差しのべる。映画では、原作とはやや違いますが、蒼井優が演じる高澤愛(原作における美由紀)がやっぱりいろいろな問題を抱えて山小屋にやってきたときに、勇夫さんが何も詮索せずに、受け入れたことに感謝して、「この山小屋で生きていくんだ」と決心する。まさに「人生の避難小屋」なんです。その人の過去がどうあれ、あるがままをそのまま容認しあって、付き合っていける。

笹本 そういう場所にいると、肩書きとか、下界での生活を訊くまでもなく、相手の人間性のようなものが自然と分かっちゃう部分があるんですよね。

木村 映画では、立山にある大汝休憩所を「梓小屋」(映画では「菫<すみれ>小屋」)として使ったんです。そこの小屋番の人とは、僕はもう5年のつきあいになるけど、彼の過去なんて聞いたことなかった。それがこの間、何かの拍子にポロっと「自分は建築屋だった」というのを聞かされて、「えーっ」と驚いたくらいで、実際に山ってそういう場所なんだよね。

笹本 そうですね。猜疑心や打算で人と付き合うのも、確かに人間のひとつの本質かもしれないけど、逆に、あるがままの相手を打算なしに受け入れることができるところも、人間の本質だと思うんですね。どちらも小説の題材になりうるんですが、『春を背負って』では後者、下界での暮らしでは忘れちゃっている本質、「人間っていいものだよ」という、人が本来持っている善性の部分が、自分なりに賭けたという実感は持っています。

主人公・長嶺亨の成長物語として


――笹本先生は、立山の撮影現場にも見学に行かれたそうですが、いかがでしたか。

笹本 それこそ、何10年ぶりに山に登ったんで、バテバテでしたね(苦笑)。

木村 ハハハ。僕もキツいんですが、映画界では「目高で撮る」という言葉があるんです。自分の目の高さで撮るという意味ですが、そのためには実際にその場所に行くしかない。ヘリ撮影なんていうのは邪道なわけです。僕の信条は、とにかく本物を撮ること、その場所に本当に行って撮れば、それは観る人に必ず伝わる。僕は「厳しさの中にしか美しさはないんだぞっ」って始終怒鳴っている人間ですから(笑)。

笹本 あのときも怒鳴ってらっしゃいましたね(笑)。しかし『八甲田山』なんて、改めて観ると、「撮影隊、これでよく生きて帰ったな」と思いますね。

木村 あのときは、森谷司郎監督と橋本忍さん(脚本)が、3時間も4時間も歩いて、いちいち1人ひとりが死んだ場所に行くんだよね。僕はまだ若かったから、「蔵王のスキー場の脇でも撮れるじゃないか」と思ってましたけどね(笑)。でも、やっぱり嘘ついちゃいけないんだよ。日本人はそういうものを見抜く力があるんですよ。

笹本 『春を背負って』も標高3000メートルの現場でしたが、皆さん、元気で、とてもいい雰囲気でしたよね。

木村 スタッフ総勢17名でゴロ寝するわけですから、もう家族みたいなものなんですね。キャスト(亨=松山ケンイチ、愛=蒼井優、亨の母=壇ふみ、亨の父=小林薫、ゴロさん=豊川悦司)がよかったでしょう。

笹本 よかったですね。

木村 僕が今回、蒼井優ちゃんを口説くときに「あなたみたいにテレビコマーシャルであんなに大口開けて笑える女優は古今東西見たことない。それをこの映画でもやってほしい」と言ったんです。厳しい山の生活だからこそ、彼女のそういう素の強さみたいなものが欲しかったんです。それから松山さんはNHKの大河ドラマで「平清盛」をやりきったところで、新たなステージを求めていた。彼は青森生まれだから、雪の中を歩く後ろ姿がやっぱり、しっかりしているんですね。それを見て、「あ、こいつは大丈夫だ」と思ったんだけど、現場では俳優さんが一番強かったね。

――木村監督は、原作における主人公の亨については、どう思われましたか?

木村 映画をつくる立場でいえば、本当はゴロさんを主人公にするのが、一番、つくりやすいんですよ。ゴロさんには、個人的にも思い入れしやすい部分もあって、映画では、普段自分が言ってるような言葉を言わせたりもしてます。一方で、映画としては、やはり若者が様々な経験を通じて成長していく姿というのは観客の共感を得やすいんですよね。

笹本小説家の立場でいえば、最初から完成してしまった人間を出してもつまらないんです。小説の入り口では未完成だった登場人間が、物語のなかで様々な経験をして、小説の出口では成長している。それを私は作品を書くうえで大事にしています。自分自身が読み手の立場でも、やはりそういう要素を求めてしまうんです。

木村 映画でも長嶺徹の成長物語という部分は、大きなテーマとして描いたつもりです。映画を撮っているうちに僕の中で、原作における亨と松山さんが重なってきて、最初はちょっとつかみどころのなかった若者が、1人の男に成長していく姿を見たように思います。

笹本 映画と小説というのは、表現手法が根本的に異なるわけです。映画では、沈黙の場面で、俳優さんの表情や演技の間などで、いろんな感情や情景を表現できますが、小説ではそれを言葉で埋めるしかない。今回の映画でも、俳優さんの演技の力で、亨や彼を取り巻く人々の成長がどう描かれているのか楽しみにしています。

木村 ゴロさんが倒れて入院する場面で、映画ではゴロさんに「人とのつながりがなければ、人間生きていけない」と言わせているんですが、最初は見も知らなかった人たちが、どんどん繋がっていって、その繋がりを「背負って」いくことが生きていくうえで大きな支えになる。笹本先生が原作で描こうとされたのもそういうことだと思うし、僕もそれが一番大切だと思ったんです。この作品は、若い人たちだけに向けたものではなくて、年末に「宝くじ」売り場に並んでいるような普通の人たち、それぞれの人生を背負って生きているあらゆる人たちに向けた物語だと思っているんです。

笹本 私自身も、これまでの人生を通じて背負ってきたいろいろな思いが、作中の人物の言葉というかたちで、自然にあふれてきたような気がします。もちろん書いてる最中は、楽ではなかったですけど、書き終えてすごく幸せな気分になれた作品です。

木村 僕もまったく同じですね。つくっている最中、現場にいくために山をひたすら歩いているときなんか、「なんでこんなキツいことやってるんだろう」ってことばかり考えているけど、終わってみれば、やはり得難い経験をしているんですよね。ただ、もし次回作があるとしても、次は山はもうやめておこうかと……。

笹本 そんなに。

木村 いやあ、しんどいですよ。

笹本 そうですよね。けれど小説を書く作業は山登りと似ていて、その最中には、なんでこんな商売選んだんだと考え込むこともありますが、自分で納得いく作品に仕上がったときは、そういう苦労もぜんぶ頭から蒸発しちゃうんです。辛いことをぜんぶ忘れるから、またやっちゃうことになる。

木村 うーん、そうなんだよなあ。そこが最大の問題なんですよ(笑)。

文庫本表紙

※この対談は、文春文庫版『春を背負って』(2014年3月10日発売)に、特別対談として収録されたものです。


映画化が決まって、単行本を探して大きな書店でやっと見つけて読んだ時も最後何だかわからないけれど涙してしまいました。読んでいく先から亨とゴロさんのやり取りの素敵な言葉の数々。そして都会の生活、会社の歯車でしかないちっぽけな自分の存在に燃え尽きてしまった亨が父の死をきっかけに山小屋を引き継ぐ事になって奮闘する姿。そこで出会ったさまざまな人達との交流すべてが多分地上では味わえない何かがあるんだと思います。人を信じること、命の大切さなどを決して重いだけの物語にせず、その先に希望があるんだと想像させてくれるる作品。

文庫本がようやく発売されてすぐ、思わず帯と、この巻末の対談の為に買っちゃいましたよ(^_^)
原作では亨と美由紀(映画では愛ちゃん)との関係がぼんやりした感じだったけど映画ではもっとはっきりハッピーエンドな関係を見せてくれたのが何より嬉しかったです。

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