感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2014.7.4記述
週刊文春にて

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「映画化された『春を背負って』を観て、私自身、新しいもう一つの作品に出会ったような気がしました」

そう語るのは、作家の笹本稜平さん。笹本さん原作の『春を背負って』が、名手・木村大作監督により映画化され、中高年を中心に大ヒットを記録している。

原作は奥秩父にある山小屋に集う人々の心の成長と交流を丹念に描いた連作短編集だ。「この作品は舞台が地味で派手なアクションも出てきません。しかし書き始めてみて、日本の山にはもともと、里との深い結びつきがあったことに気付いたんです。山小屋は人里から離れていても、人間社会から隔絶した場所ではなく、むしろ里での人の営みと密接に結びついて成り立つ場所です。山小屋を媒介として人と自然が穏やかに溶け合う。そんな心温まる世界を再発見できたことが、大きな収穫だったかも知れません。」

笹本さん作品といえば、スリリングな本格冒険小説も多数があるが、『春を背負って』が初の映画化作品となった。
「正直言って驚きました。もっとスケールの大きな、手に汗握る物語が映画に向いているという先入観がありましたので。しかしお話をうかがううちに、木村監督の狙いが、私がこの小説で書こうとした思いと重なることがわかりました。虚飾を捨てた素の心で人が出会う場所。そこが私が作品で描いた梓小屋(映画では菫小屋)でした

映画化にあたり、木村監督からは、舞台を立山に変えたいという要望があった。
「最初は戸惑いました(笑)。雪山の名手の木村家督が、緑豊かな奥秩父の自然をどう撮るのか、とても楽しみにしていたんです。しかし、標高三千メートルという過酷な条件の下で、温かい家族の物語を描きたいという監督の熱意に心を動かされました、。監督のいちばん得意な雪山を舞台に映画として生まれ変わるなら、原作にとっても幸福なことだろうと思ったんです」

では小説と映画では、どのような違いがあるのだろうか。
小説は時間も空間もすべて言葉で埋めなければならない。一方で主人公の内面に深く踏み込んだ描写ができます。逆に映画は内面描写を俳優の演技による間接表現に頼らざるを得ない反面、映像や音響など小説ではとうてい歯が立たない表現力があります。どちらが優れているかではなく、それぞれの持ち味をフルに生かしたところで生れるのが良い作品ということではないでしょうか。映画と小説、それぞれの魅力を味わってもらえる機会が生れたことを、原作者としてもとても嬉しく思いますし、その両方を楽しんでいただけると幸いです

違う記事が読みたくて購入したら、偶然このインタビューも掲載されていたんですよね(汗)
何だかラッキー♪映画と原作の違うを楽しむのも楽しみの一つだったりします。
この作品の中でも映画は映画の中でとても素敵な言葉の数々があり、原作には原作の中で素敵な言葉があって、でもどちらの世界観もシュチエーションや言葉は違うけれどいいたい事の本質は変わってないと思いました。

数ある映画の中で原作を読まないと映画だけだと本当に人間関係が唐突過ぎて「なんで?いつの間にそういう関係に?」と言う事は多々ありますし、原作でここの部分は大切じゃないのか?と言う部分がバッサリ映画でカットされていたりという事もあります。理不尽だと思う事もありますが、相して映画と原作そしてノベライズと読んでいろんなことをさらに深く感じる事が出来る事も映画の楽しみ、読書の楽しみですね。

どの作品でも思うけれど、原作物の作品は特に最終的に何が大切かといえばやはり、原作者の方が作品を観てどう感じたのかかな?いくら私たちがああだこうだと言っても書いた人の言葉が一番だなと私は思うんですよね。

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