感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2014.7.5記述
CREAWEB「CREAおすすめ映画」より

山々の美と自然の厳しさを存分に味わえる映画


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「なんと清々しい」。終演後、そんな感想が口をついて出てきました。山に登ったときの清々しさとはこういうものなのかも、と。本格的な山登り経験のない者にとって、山々の美と自然の厳しさを存分に味わえる映画『春を背負って』は、山体験そのもの。本格的な登山が未経験である筆者でさえも、登ってみたいと思うほど魅力的な世界がそこにはありました。

物語の舞台は、立山連峰の3000mを超える大汝山に立つ「菫(すみれ)小屋」。亡き父の後を継ぎ、山小屋を切り盛りする脱サラ青年・長嶺亨が、山で出会う様々な出来事、人々との交流の中で成長していく様を描いています。

 原作は、厳しい自然の中でこそ生まれる、損得勘定抜きの人と人との真の触れ合いを描いた笹本稜平の同名小説。それを、『八甲田山』で撮影を担当した名カメラマンにして『劒岳 点の記』で監督デビューを飾った木村大作が映像化しました。「人は皆、何かを背負って生きていくしかない」という思いを共有する二人が、過去など気にせずその人のあるがままを容認し合って生きていける“居場所”の大切さについて、語りかけてくれています。

 原作には、登山好きの方ならすぐに目の前にその情景を思い描けそうな自然描写がたっぷり。この描写を自分の経験と照らし合わせることができるなら、驚くほどの臨場感が待っているはず。ただ、未経験者には言葉の意味はわかっても、想像力が及ばない世界。そんな山の姿を、筆者のような者にもわかりやすく教えてくれているのが映画版『春を背負って』なのです。

 まず、116分という短い時間で美しくも厳しい自然に触れることができるよう、原作では奥秩父だった舞台を、立山に移しています。原作本(文春文庫)収録の笹本氏と木村監督による特別対談では、「原作が描いている人生の厳しさであったり、逆にだからこそ感じられる人間の温かさみたいなものは、より厳しい自然のなかで撮影することで、際立つんじゃないかという狙いがありました」と監督。笹本氏はこの変更について「ロケーションが変わっても、この作品の本質である、山小屋での人と人との出会い、ふれあい、その中で生まれてくる温かいもの……そういったところはきっちり押さえてくださるだろうと期待したんです」と述べ、監督に寄せた信頼の大きさを窺わせました。

 同様に監督は、登場人物や、キャラクター設定、ストーリーラインにもかなりの変更を加えていますが、いずれもテーマを映画的に際立たせたかったからに違いありません。それが成功したことは、出来上がった作品に笹本氏が押した「小説と映画と表現の形式は違っても作品の魂は一つ」という太鼓判によって証明されていると言えるでしょう。

 さらに、作品成功の秘訣は、“本当の場所”と“本当の感情”にこだわった木村監督独特の演出法にもあるよう。立山連峰で行われた延べ60日にも及ぶ山岳ロケでは、キャストもスタッフとともに自らの足で山に登りました。監督の狙いは、自然の情景を見て、その場でキャストに湧きあがった嘘のない感情と表情を引き出すこと。そのために、何台ものカメラを同時にまわし、俳優の感情の流れを途切れさせることなく、一気に撮り上げてしまう撮影法を採用。そして、セリフをちゃんと言えているかではなく、表情で判断していきました。芝居を細かく形として決め込まず、俳優が素の部分を出しながら自然に演じたことを、最も効果的に切り取るための手法は極めてシンプル。でも、今そこにあること、そこに見えていることだけを切り取りながらメッセージを伝えることは、思うほど単純な作業ではありません。押しつけがましい解釈を手放し、それでも理解してくれるのだと観客を信頼する勇気と潔さなしには実現などできないから。それは、画の力を知り、それを信じている木村監督だからこそできる技なのです。

ドキュメンタリーさながらに、奇をてらわず正直に山を映し出し、そこに生きる人々の感情を重ねていく。そうして出来上がった作品は、技巧に頼りがちな現代の映画業界の中ではいささか古風に感じられるかもしれません。でも、そのスタイルこそが映画の原点。木村監督は、『日本沈没』、『復活の日』、『駅 STATION』、『鉄道員(ぽっぽや)』ほか数々の名作を、名監督とともにつくりあげてきた人であり、伝説たちの魂を受け継ぐ映画人なのですから、原点にはこだわり続けて欲しいものです。

 心が洗われるような山の風景と、気持ちの良い人々の生き様だけでなく、往年の名画を思わせる現代では稀有な驚きのラストシーンも、お見逃しなきよう!(牧口じゅん)

原文はこちら

昭和の映画とレビューなどで書かれているけど、私には昭和と平成の映画の違いって明確に何かあるのか?と思うんですけど。
私的に思うに、今の映画というか1990年以降の日本映画と云うのは映画と言うよりも2時間ドラマを大きなスクリーンで見ているという感じですね。90年からつい数年前までは本当に邦画の低迷期で、主な原因はそういう映画が映画の本来の楽しみとして楽しめない作品が多かったように思います。個人的にもよほどでない限り基本的にドラマの映画化とかお金を出してみたいと云うのはありません。とてもガッカリするんです。80年前後の映画それこそ木村監督がキャメラマンとして参加されている作品の数々や五社英雄、大林宣彦、深作欣二、大島渚などなど見ていたし、この「春を背負って」をみても古臭いとか感じたりはしない。そういう世界もあると思うし、自分の生きている半径の出来事がすべてではないとおもうし、そう言う事を楽しむ事が映画だと思うんですけどね。

もちろん、バイオレンスまみれの作品も観るし、CG満載の作品も観るし、今の映画でもいい作品、楽しませてくれる作品は沢山ある中に、こういう作品古臭いと思われてもいい作品があってもいいよね。確かにケンちゃんが出演してないと見る事がなかったかもしれない作品かも知れないけど、いや、「劔岳」も良かったので見たかもしれない?監督推しで(^_^)

好きな俳優さんがきっかけで出会える素敵な作品もあるんだと思うし、そんな出会いが映画のよいところだと思うから辞められないんだよね~(^_^)



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