感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2015.6.2~4日でケンちゃんのインタビュー記事読売新聞青森版で掲載されました。松友さん、ありがとうございます。

少子高齢化の人口減少など、地方の衰退が叫ばれています。読売新聞はそんな地方を元気にしたいと、地元が生んだ全国で活躍するスターたちに呼びかけてみました。「あなたの大切なふるさとの力になってもらえませんか?」。故郷の読者に思いを伝える新企画「ふるさとにエール」。初回はむつ出身で、映画やテレビドラマなどに引っ張りだこの人気俳優・松山ケンイチさん(30)です。

読売新聞青森版003


ネット版もUPされました

むつ 自分探しの少年期…俳優・松山ケンイチさん(上)
新たな可能性 映画で…俳優・松山ケンイチさん(中)
面白いアイデア出そう…俳優・松山ケンイチさん(下)

2015.6.7記述

(上)むつ 自分探しの少年期


どんな少年でしたか。

地元のむつには今より何もなかったので、誰かが来るとなるとみんなで見に行ったし、『何か刺激的なことはないか』と色々なことに貪欲だった気がします。そんな気持ちをどう昇華していいのか分からず、ずっと悶々として過ごしていました

少年時代、映画や芝居には触れていましたか。

映画館がほとんどなかったので、テレビで放映される映画を見ていました。でも、地元の下北文化会館などで上映される2本殺陣の映画は、ちょこちょこ見に行っていました。一番最初に見たのが『グリーンマイル』、ほかは『ラッシュアワー』。よりすぐりの作品が多かったにおで印象に残っています

本気で挑んだ陸上


今につながるエピソードはありますか。

陸上部員だった中学生の頃、運動会のクラス対抗リレーの練習中、バトンを受け損なったんです。それがすごく悔しくて泣いた思い出があります。今考えると、何でそんな事で泣いたんだろうと思うんですが、本気で取り組んでいたからこそ泣けたと思うし、陸上部員としての自負が崩れたんでしょうね。細かいことをねちっこく考え込む性格は、今の自分にもあります。役者の仕事にどう影響しているかわかりませんが…。


高校1年の時、お母さんの勧めでモデルのオーディションに応募し、グランプリを獲得しました。

高校に入って『もっと違うことをやりたい』と思って陸上をやめてからは、何かを探しに百貨店やゲームセンターに行って、結局何もしないで帰ってくるなど悶々と過ごしていました。オーディションに出たのはそんな時です。それまで人に注目されることもなかったし、モデルになれるなんて思ってもみなかったので、(グランプリに)実感はわきませんでした。でも、『きっと面白い世界なんだろうな』とは感じていました。学年で一番先に就職が決まったうれしさもあった。(きっかけをくれた)親には感謝しています

高校2年で上京し、本格的に芸能活動を始めました。

上京する時、JR下北駅で友人たちが見送ってくれたことがすごくうれしくて今でも覚えています。上京後はファストフード店や引越し業者、工場、ダーツバーなど様々なバイトをしながらオーディションを受けましたが、受ける度に落ちていました。

つらくはありませんでしたか。

同級生は就職や進学が次々に決まって、『最初に就職が決まったはずなのにどんどん追い越されているな』とは思いました。でも、焦りやつらさは感じませんでした。

なぜですか。

親に仕送りを頼んで『このまま迷惑ばかり掛け続けてはいけない』という思いはありましたが、自分は面白い仕事をしているんだと感じ始めていたからでしょうね。『これからもっと面白くなる』というのもあったかもしれない。ほかの仕事をしようとは全く考えませんでした。

(中)新たな可能性映画で


18歳の時、車いすバスケットボールを題材にした映画「ウィニング・パス」(2004年)で初主演を飾りました。

『一番面白いのは主役だ』と感じた作品です。交通事故で下半身不随になった高校生を演じました。役作りのため、車いすバスケットチームの練習に参加したのですが、足が不自由な人たちが、僕より速く車いすで走ってシュートを決めたり、けがをした時のことを笑いながら話したりしている姿を見て、なんだか自分がちっぽけだなと思いました。

同時に、自分の知らない世界を見せてくれるのがこの仕事なんだなと痛感しましたね。世界が広がれば考え方が変わり、自分の新たな可能性を発見するきっかけになるし、それはきっとお客さんにも伝わると思う。可能性を広げてくれるのが、映画だと感じました。


真面目に表現すると青森らしさが


青森が舞台の映画「ウルトラミラクルラブストーリー」(09年)では、純粋でまっすぐな農業の青年を演じました。全編津軽弁の面白い作品でしたね。

出身の下北半島と方言が違うので、うまく津軽弁がしゃべれず、方言指導の方にはご迷惑をお掛けしました。だけど、あの作品は『青森』とは何かということに向き合えた、自分にとってすごく大事な作品です。

作品を通してふるさとを見つめてたわけですね。

自分の中で、青森ってすごく『変』な存在なんですよ。例えば、同郷jの巨匠・川島雄三監督の映画作品を見ると、やっぱり普通ではない独特の癖があります。作家・太宰治もそうです。(青森出身者は)くせ者が多い。決して奇をてらっているわけではないけど、真面目に表現することで青森らしさが出てくるのでしょう。それをすごく意識はしています。

幅広い世代に松山さんの魅力が伝わったのが、主演したNHK大河ドラマ「平清盛」(12年)ではないでしょうか。

長期間の撮影をする大河ドラマを経験して、役に対する向き合い方が変わりました。少し先まで役に対する想像ができるようになったと思います。気づかなかった自分の弱い部分もすごく出たので、どういう風に修正すればいいか考えられるようにもなった。大河ドラマを経て、より色々な演技ができるようになった気がします。

俳優として心掛けていることはありますか。

役作りは自然に生まれてくるものではないので、作品ごとに必要とされる演技を追及しますね。実際の人物や、映画やアニメの架空の人物を見て、『ああ、こういう感じの役だな』とヒントが出てくることもあります。ゆったりとした撮影もあれば、とんでもなく忙しい撮影もあるので、体調管理は大変です。一方で作品ごとに新しい発見があり、自分に新しい可能性を示してくれる。それが俳優という仕事の一番の面白さだと思っています。


(下)面白いアイデアを出そう


映画「天の茶助」の見所を教えてください。

監督のSABUさん独特の感性と、疾走感あふれる唯一無二の作品になりました。僕が演じる主人公の茶助など登場人物がみんな周りに流されず、一人の人間として立っているのも印象的です。僕がやくざを演じるシーンがあるのですが、『仁義なき戦い』を見て細かなしぐさを研究し、役作りをとても大事にしました。人生で初めてパンチパーマもあてたんですよ。

「天の茶助」は、天界にいる脚本家が地上の人間の人生を書いているという設定の作品。ご自身の人生で不思議な力を感じたことはありますか。

青森で何も考えないで生きてきた人間が、今こうやって映画に出ているのは不思議だし、想像すらできなかった面白いことです。もし僕担当の脚本家がいるとしたら、すごい面白い脚本を書いてくれているなと思います。その脚本家が僕に飽きて適当な脚本を書かれないよう、一生懸命に生きないといけないですね。

30歳積み上げてきたものゼロに


3月に30歳を迎えられました。今後の目標はありますか。

30歳を機に、今まで積み上げてきたものをゼロにしたい。『大河ドラマで主演した』とか『あの映画に出演した』とかは関係なく、毎回素人のつもりで一からくみなおしていきたい。自分で企画を立てるなど、何ができるかを探していきたいと思っています。

2011年に結婚され、3人目のお子様も生まれる予定です。

僕は一人で家にいるとどんどんネガティブになる性格なのですが、家族は一気に仕事を忘れさせてくれて、『ぐだぐだ考え込んでいる暇はないよ』と思わせてくれる大切な存在です。以前のように自分中心で考え込むことはなくなり、楽になりました。

むつ市には帰っていますか。

年に1度ぐらい帰ります。地元の友達とご飯を食べたり、『新しい店が出来たね』と話をしたり。自分が過ごしてきた場所で経験を共にした仲間だから、リラックスできますね。

最後にふるさとの皆さんに「エール」をお願いします。

地方が衰退し、青森も様々な面で難しい状況にあると思いますが、パンチの効いたことができる県民性だと思うんです。面白いアイデアが絶対頭の中にあると思うので、それを色々な形で出していってほしい。僕もそういうことを常に考えていますし、ふるさと青森のためにできることしていきたいと思っています。

何もないから貪欲になれた
「何もないから、悶々として満足しなかった」。これこそが僕がふるさとに育んでもらった一番大きなことです。僕の地元むつ市は素朴ですが、何もない。でも逆に、刺激的なものがあると、色々なことを探さなかったと思います。何もないから貪欲になれたんです。

本州の北の端という「変わったところ」から出てきているから、「他の人と違うことをしたい」という気持ちも培われました。それが自分にとってプラスに働いているんです。むつ市出身じゃなかったら、きっと今の僕はありません。


編集後記
松山さんはふるさとを「何もない」と表現したが、「無」には、無限のエネルギーや可能性が秘められているというメッセージだと感じる。東京ではない地方だからこそ生まれるものはきっとあるはずだ。松山さんが「くせ者が多い」と言ったように、全国に羽ばたく健出身者の活躍がそれを物語っている。松山さんが演じた役柄は実に幅広く、個性的だが、作品ごとに見事に役にはまり、圧倒的な演技力で見る者をひきつける。作品ごとに成長を続け、芯の強さを感じる松山さんの言葉一つ一つが、読者の皆さんの心に届けば何よりだ。(小田倉陽平)

標準語ではないところ出身の芸能人は、まず方言を厳しく直させられますね。でもそれって、良い事なのかどうなのか…。
そんな中で、松山ケンイチと言う人は普段は地元訛りで話をし、それも恥ずかしいとも思わず愛着をも感じますよね。
地元の人達はそんな彼に対してどう感じているんだろうといつも思います。

でも、時折、いろんなところで知る地元出身者の人達の彼の地元愛に対して嬉しく思っているのを見聞きするとこちらも嬉しく思います。
そして魅力はと言われ「何もないところ」と言い切ってしまうほどの潔さ。きっと普通なら、色々考え、発言するんだろうけど、その何にも無いからこそ、今の自分があると。悪意ある人が読んだとしたら「なに言ってんだ。実際あんたは東京で何でもある生活してるからそんな事言ってるんじゃないか」と思う人もいるかもしれないけど、私は彼の言うこと分かりますわ。私の地元も大阪の中ではど田舎で、今そんな田舎の風景がこの町の魅力なんだと思います。何処でも画一化されたような町になるって面白くもなんともない。

これからも、子供たちを連れて時間があればふるさとに帰って、都会では感じられない何もない中にあるかけがえのないものを感じ、ふるさとを全力で応援して欲しいですね。

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コメント
この記事へのコメント
お手数のかかる文字起こし ありがとうございます!
マジに嬉しく 助かりました!
私もすべては読み取れなかったので
2015/06/07(日) 23:50 | URL | ノンキ #Y5kNkQqE[編集]
Re: タイトルなし
ノンキさん、こんにちは<(_ _)>

> お手数のかかる文字起こし ありがとうございます!
> マジに嬉しく 助かりました!
> 私もすべては読み取れなかったので

もう、なんどもお願いしてああだこうだしてなんとか出来ました。
全国紙に載せて欲しいと思いながらも、やはりケンちゃんにとって地元貢献も大切なことですものね。
でも、こうして全国の松友さんのおかげで、見る事が叶わないはずの物も御厚意で私たちにも見る事が
出来ることの喜び。有難い限りです。

これからもますます応援して行きましょう♪さぁ、忙しくなりますぞ。

2015/06/09(火) 10:03 | URL | K&R #hTYNULE6[編集]
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