感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2016.2.29記述
2/27産経新聞関西版夕刊より


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平成10年に29歳で亡くなった天才棋士、村山聖九段の生涯を描いた作家、大崎善生さんのノンフィクション『聖の青春』が人気俳優、松山ケンイチさんの主演で映画化される。難病と闘いながら、命を削って将棋に全人生を懸けた壮絶な生き方、そんな悲壮感を感じさせない愛嬌のある風貌…。今秋に公開予定で、今でもファンや棋士仲間に愛され続ける村山九段の人生が共感を呼びそうだ(古野英明)


29年の生涯「聖の青春」映画化


1月27日、村山九段の古巣、大阪市福島区の関西将棋会館で行われてたロケ撮影。村山九段役を演じる松山さんの姿に、つめかけた報道陣は息をのんだ。別人と思われるほど"激太り"していたのだ。

松山さんは「全身全霊をかけても足りない」と、病気の影響で太った村山九段になりきるために15キロ以上の増量。また、村山九段が「命あるもの」としてあまり爪や髪を切らなかったことから、松山さんも伸ばし放題に。「外見だけそっくりになるだけでなく内面も」と、村山九段の言動にもこだわる徹底した役作りで、師匠の森信雄七段も「村山君が生き返ったかと思った」と驚いたほどだ。

「東の羽生、西の村山」―。
羽生善治四冠と並び称された村山九段は広島県出身。5歳のときに難病のネフローゼを発症し、入退院を繰り返した。そんな村山少年に「生きる意味」を与えたのが、病室で触れた将棋盤と駒だった。昭和58年6月15日の14歳の誕生日、現・日本将棋連盟会長の谷川浩司氏が名人を奪取したその日に「打倒・谷川」の夢を抱き、同年12月、プロ棋士養成機関の奨励会に入会、61年にプロ(四段)に。27歳のときに膀胱がんが見つかってからも将棋を指し続けた。

「壮絶な人生をわずか2時間の作品にまとめるにはどうしたらいいのか悩み、時間だけが過ぎていった」。
7年前に映画化の打診を受けた森義隆監督はそう振り返る。原作や藤原竜也さんが主演したテレビドラマとは違う味を、という重圧もあった。たどり着いた答えは、「村山さんがどのように『生』と『死』と対峙していたのかを描きたい」。"最後の4年間"にスポットを当てることにした。

村山九段と接した将棋関係者は「病気とは聞いていたが、そんなに悪かったとは…」と口をそろえる。元奨励会三段で現在、大阪商業大アミューズメント産業研究所の主任研究員を務める古作登さんもその1人。平成9年春、手術前の村山九段を「週刊将棋」の記者として大阪で取材した。「飲みに行こうと誘われ、将棋の話で盛り上がりました。酒なんて飲める状態ではなかったのに…」

村山九段は術後1か月もたたないうちに復帰。10年2月、羽生四冠とNHK杯決勝を戦い、逆転負け。羽生四冠は「完全に負けと思ってました」。村山九段は「優勝したはずなんですが、ポカをしてしまい…」と笑顔で話した。

それから半年後、村山九段は亡くなった。「私はもちろん、ほとんどの棋士が本当の病状を知らなかったのでは。弱みをいせまいというすさまじい勝負師魂を感じました」と古作さん。

そんな村山九段をどう描くのか。森監督は「ライバルには敵意をむきだしにする一方、甘えん坊で愛嬌があって、と多面性を持った人物。でも、誰にも見せなかった孤独な一面があったはず。1人のシーンにそれを込めたい」。

そして村山九段が生きた証し。「それはやはり、盤上にある。骨きしみ、脳がへこむ戦いに命を懸けた村山さんの生き方は、将棋を知らない方でも何かを感じ取っていういただけるのでは」

最後の4年ということは…阪神淡路大震災直前から物語が始まるのかしら?それまでにもいろいろ描いてほしいシーンがたくさんあるんだけどね。まぁそれまでのエピソードも物語の中にちりばめてくれていると嬉しいけれど…きっと作品を期待している人たちがたくさんいるだけに実際映像を見るまではこれだけではちょっと納得できない部分がある人は多いと思うけれど、震災を経験して余計に彼の生死感やさらなる病気とに最後の戦いまでそしてそれならば絶対、羽生名人とのあの2人だけの食事シーンは入れてほしいね。広島での最後に会いに行った時のエピとかも。この記事読んでで若干ドキドキしてきた。

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