感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2016.4.2記述
4/1朝日新聞より

(中略)

役者って孤独、棋士も似ている 天才棋士演じる松山ケンイチさん


 名人への夢半ばにして29歳で亡くなった天才棋士・村山聖(さとし)九段。その生き様を描く映画「聖の青春」(配給・KADOKAWA)が、今秋公開される。主演の俳優・松山ケンイチさんが、名人戦や棋士への思いを熱く語った。

 
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名人って、映画でいうとアカデミー賞の作品賞みたいな存在だと思うんです。そこを狙っていく大変さというか、いろんな出会いや流れみたいなものが必要なのではないでしょうか。いろいろ積み重なったものの頂点である名人は、厳しく大変な道筋だと思います。

 なかでも羽生さんはヒーロー的な存在で、とても偉大で最強の名人。七冠独占から20年経った今も君臨しているというのは、ちょっと信じられない。もちろん七冠返り咲きも期待しています。

 逆に、羽生さんが崩れて無秩序な状態が訪れるというのも、すごく興味深いです。それは挑戦しないと起こりえない。どんなものでも、挑戦してこそ新しいものができあがる。挑戦ってすごく好きで、僕も意識している。常に、なにか新しいものが生まれないかと。

 役者って、孤独なんです。自分と会話しているような。人と話すのは自分を成長させてくれるけど、自分と会話するのは自分を深めてくれる。自分の声を聞き続ける作業をやらなければいけないんです。

 村山聖を演じて、棋士も似ているなと感じました。孤独でしか自分を癒やせない人たちがいるんだな、と。全身全霊で臨むために自分のある一部分だけを特化させ、他は捨てる。他人が代わることはできないし、誰にも分かってもらえない。

 対局のとき、棋士は斬り合っているように感じます。生きるとか死ぬとか、恋だとか全部超えて命と命がぶつかっている。すごく魅力的で、将棋ってすごいなと思います。

(中略)

ケンちゃんのインタビュー部分だけ抜粋しました。
「棋士は斬り合っている」という言葉、「平清盛」の中で信西入道が言っていたことを思い出しますね。実際に太刀は振るってないけれど、人には見えない太刀を振って自分の体は血反吐にまみれていると。「聖の青春」の中でも髪や爪をも生きてるからと切るのを嫌がった村山聖さんが、将棋での対戦で自分が勝つことは、相手を殺しているのと同じだと。だからと言って相手が勝つと自分が死んでしまう、だから早く引退したいんだと。人間が生きているということは常に矛盾と向き合っていかないといけないんですよね。



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