感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2016.11.7記述
dmenu映画 より

ムービーウォーカー004


2015年の年末、主演映画『の・ようなもの のようなもの』のプロモーションイベントに現れた松山ケンイチの変貌に、集まった報道陣からざわめきが起きた。そして、直後から、彼の「激太り」を心配する報じる記事が相次いだ。人気絶頂期に若くして結婚し、今や3人の子どもの父親である彼に対して、「幸せ太りか」と揶揄するような記事まで出たのだ。

『デスノート』では10キロ以上の役者減量 本作では胃薬を飲みながら太った役者・松ケン

しかし、役柄によって、彼が自分の肉体を作り変えることをよく知る人たちは、次の仕事への大きな期待が高まったはずだ。ブレイクスルーとなった『デスノート』では、極端な潔癖症で、ずば抜けた頭脳の持ち主であるLの浮世離れしたキャラクターを成立させるために、10キロ以上の減量をし、そのしなやかな動きで一気に原作ファンの心をつかんだ彼。2016年夏に彼が取り組んでいるのが、『聖の青春』であるとわかった瞬間、それがいかに難役であるかを知る長年の将棋ファンはうなった。松山が演じる実在した棋士、村山聖は特徴的な外見をしていた。5歳の時に腎臓の病気であるネフローゼ症候群を発症し、ろ過がうまく機能しないことや薬の副作用などで、顔も体もふくふくふくとしていた。その一方で、まるでテディベアのような愛らしさをたたえながら、指す将棋は強気。疲れや集中力が途切れる後半になっても、ぐいぐいと攻めまくった。人を見る目は厳しく、ライバルの棋士に対する評価も嘘がなくストレート。ワインと麻雀にはまる無頼派を気取りながら、私生活では少女コミックをこよなく愛し、家は漫画とごみで足の踏み場もなかったという。そういう多彩なプチ伝説には事欠かず、多くの棋士が彼との思い出を語り、そこでいつも鮮明な印象を残している村山。

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その男を演じるために、松山は一年以上、胃薬を飲みながら高カロリーのものを食べ続け、途中からは「それ以上、食べ続けると、あなた自身の健康が損なわれる」と医師から警告を受けたという(そして無視をした)。背の低い人物を演じたいからと、「自分の足を切って短くしてくれ」と医師に真剣に訴えたという松田優作の狂気と重なり合うではないか。村山はまた、子ども時代の多くの時間を病院で過ごし、そこで多くの死も見つめたことで、自身の体内時計がほかの棋士とは違うことにも自覚的だった。髪や爪を伸ばし放題だったのも「せっかく生きているのに」という世への執着だったと思えるが、松山はそういう細部にも手を抜かない。だからこそ村山がもうひとつ、執着し続けた存在が鮮明に浮き上がってくるのだ。


松ケン演じる棋士、村山聖に対する東出昌大演じる羽生善治

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そう、それは、羽生善治というライバルである。監督の森義隆は映画の中で、村山と羽生の立場の違いを徹底的に浮きたたせる。恋を知らず、少女コミックを読みふける村山に対して、羽生はトップアイドルと婚約を発表。対戦で疲労がたまると高熱を発し、家で死と向き合いながら寝込む村山に対し、羽生は1996年、竜王戦、名人戦、棋聖戦、王位戦、王座戦、棋王戦、王将戦というプロ将棋の七つのタイトルをすべて手にする。村山自身はタイトルをひとつもとれなかったのに。

映画ではその羽生を東出昌大が演じているのだが、村山が「一緒の空気を吸いたいがために大阪から上京した」と話すほどの憧れだった大きさを余すことなく再現している。劇中、竜王戦で羽生が村山に負ける場面が出てくるが、その投了(負け)を告げる際の東出の手の所作の優雅さに目が奪われた。本作での羽生は勝つときはもちろん、負ける時も一寸の隙が無く美しい。がむしゃらに指す村山とは対極の余裕感を東出は前面に出していく。

ところが、映画の中でひとつ、実際あった出来事とはあまりにも違う描写があって驚いた。村山と羽生の、結果的には最後の対戦となってしまったNHK杯の場面。村山が十中八九価値を手にし、あとは詰むだけだったのに、見落として、違う場所に角を指すという大ポカをする。これは将棋史で必ず語られる有名なエピソードだが、それに気づいた瞬間、東出演じる羽生はそれまでのクールな表情を崩し、見たこともないようなエモーショナルな感情を露呈する。広く知られるように実際の羽生は勝っても負けても飄々としていて、勝負事に関する感情を表に出さないことで知られる棋士だ。そこには、若かりし頃、苦労人の棋士が自分のタイトルの相手にようやく勝ち上がったとき、つい感傷的に涙を出してしまった際、映画の中で柄本時生演じる荒崎学のモデル、先崎学に批判されたことがきっかけになったという話も伝わる。つまり、将棋観戦ファンからすると、「これはありえない!」と大きな違和感の残る場面なのだ。

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しかしながら、これは森監督の確信犯的な演出ともいえる。彼は松山と東出にこのNHK杯の棋譜(将棋を指した記録)をすべて覚えさせ、実際の試合のように、3時間に及ぶ対局を途中で一切切ることなく、長回しで撮影したのだという。その結果、羽生がというよりも、演じた東出の感情が高まり、その意思を生かすことを森監督は選んだのだろう。

そもそも、森監督はこの映画の中で、村山は羽生にずっと片思いをしているように描いている。さかのぼれば、森監督のデビュー作『ひゃくはち』は甲子園常連校の野球部を舞台都市、煌びやかなスター選手(高良健吾)を見続けるベンチ選手(中村蒼)の眼差しの映画だった。続く『宇宙兄弟』も才色兼備のエリート宇宙飛行士の弟の存在に刺激される兄の物語だった。いわば、この映画の羽生の嗚咽は、シビアな勝負師ではありえないことだが、誰かが、誰かを、ただひたすらに思い、生涯をかけてその存在に追いつきたいと思う村山の思いに羽生が応えたとみると、将棋をめぐる激しい恋の物語ともいえる。この映画を作る人たちは村山の羽生への片思いを成就させたかったのだと思うと、違う感慨が込みあがってくる。


大河ドラマにしてもこういう実在の人物を取り扱う作品というのは、そりゃ、なるべく正確な事実が盛り込まれている方がいいに越したことはないと思うんだけど、でもそれだけじゃないと思うんですよね。村山さんが思っていても出来なかったことや、どう生きていたのか、何を感じていたのかをも表現することによって、見てる側も「そうであってほしい。そうであったらいいな」という思いをも盛り込めるものだと思うんです。

限られた時間の中に何をどう盛り込むのか、シナリオで読んで違和感を感じる部分もありました。でも、あえてきっと生きていたら村山九段さんは羽生三冠とこんなことを話したりしたかったのかなとか、羽生三冠ご自身も色々感じ入ることもあったんじゃないかと思うんです。村山九段に関わったいろんな人たちの思いを凝縮してそれを受けて頑張るケンちゃんと東出さんの死闘の対局シーンを見届けたいと思います。

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