感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2016.11.15記述
TOKYO HEADLINEより

映画『聖の青春』主演
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棋聖・羽生善治と“東の羽生、西の村山”と並び称されながらも29歳という若さで亡くなった実在の天才棋士・村山聖(むらやま さとし)。難病と闘いながら勝負の世界に挑み続けたその鮮烈な青春を松山ケンイチを主演に迎え、『宇宙兄弟』の森義隆監督が映画化。『デスノート』から『怒り』までをカメレオン的に演じきる“演技界の怪童”松山が、将棋界の“怪童”と共鳴した―!


原文はこちら


“演じるべき役”との出会い


「たまたま家に原作本があって、それを読んで村山聖という人のことを知ったんです。ちょうどそのとき僕は29歳で、村山さんが亡くなった年と同じ年齢だったこともあり、ちょっと読んでみようかな、と」

 村山聖との“出会い”を振り返る松山。読みすすむうちに、いつしか村山という人物に魅了されていった。

「生き方が自分とは全く違いましたからね。病を抱えつつ、命を燃やしながら生きた村山さんの生きざまは、僕には全く縁の無いものでした。それに、なぜなんだろうと不思議に思うことも多々ありました。病があるにも関わらず、酒も大量に飲むし麻雀ばっかりやってるし(笑)。おそらくそれは、病に自分の人生を支配されるのではなく、夫婦のように付き合いながら生きていたからこそできた生き方だったんじゃないかな。病に負けずに自分の人生を全うした村山さんの生き方に、すごく感動したんです。自分もそうありたいと思ったし、人生とは、死ぬとは生きるとは何なのかを考えるきっかけにもなりました。人間、生きていれば必ず人生と向き合わなければならないときがあるんだから、村山さんの生き方に感動するのは僕だけではないはずだ、とも思いました。村山さんは、自分の人生を大事にしたいと僕に思わせてくれた。自分が感動した人を、どんどん演じていくべきだと思ったんです」

 ところがすでに、松山の知らないところで映画化が進められていた。

「本を読んで映像化したいと思いリサーチをしていくなかで、森義隆監督が以前から企画を進めていたということが分かったんです。すでに走り始めている企画であれば村山役のキャスティングも決まっているだろうなと思ったんですが、それでも、やりたいということは伝えないといけないと思ったんです。それでとりあえずアプローチしてみよう、と」

 人気実力ともに備える俳優・松山からの名乗り。監督もその思いをしっかりと受け止めた。

「最初にお会いしたとき、森監督と対局したんです。僕が将棋を指す手つきがプロとは違うことを指摘してもらい、まずはそこからだな、と言われました。対局のほうは、僕が負けました(笑)。監督、強いんですよ。この映画のために将棋会館のある千駄ヶ谷に住むほどですから。僕自身、もともと相当な覚悟を持って挑まないと村山聖を演じることはできないと思っていましたが、監督と対局してみて、改めてその熱が伝わってきて、作品への思いにさらに火が付きました。監督がここまですべてをかけているんだから、自分も同じところまで行って同じ景色を見たい、と思いましたね。言葉だけでなく、実際の将棋の強さで、作品にかける思いを示してくれたわけですから。これで、あれこれ言いながら将棋が全然分かっていなかったら、ちょっと違うなと思いますよね(笑)」


魂を重ねるかのような役作り

 

松山は精神面、肉体面ともに徹底的なアプローチに挑んでいった。

「ご両親をはじめ、村山さんと接したことのある棋士の方々とお会いして村山さんのことを伺ったり、当時の映像を見て表情や佇まいを参考にしました。ネフローゼについては、実際に患っている方からお話を伺うなどしましたね。ご両親にお会いしたのは、まだ役を作り始める前だったこともあり、具体的な役作りというより、ご両親の思いに触れさせていただいたという感じでした。一つ感じたのは、大切な人を失くすというのは時が止まったようなものなのかな、と。ご両親にしても森師匠にしても、まるでつい先日のことのように、生前の村山さんのことを話すんです。愛情はもちろん、悲しみや悔しさも、複雑に織り交ざったものを感じました。まあ、僕がどう思おうと村山さんに“そんなのはあんたの考えじゃろ”と言われて終わりという気がするので(笑)、あまり突き詰めて考えることはしませんでしたけど。ただ、いろいろな方が語ってくれた村山さんへの思いや印象は役として表現したいと思いましたし、そういう方々にも懐かしいなと思っていただけるような役作りをしないと、もったいないと思いました」

 劇中でも語られる村山のエピソードの一つひとつが、一人の青年としての青春を物語っていく。

「特に印象に残っているのは、夢の話をしているときに聖が言う“僕の夢は素敵な恋愛をして結婚することです”というセリフです。普通、なかなか言えないですよね。それだけ夢見ていた、遠い存在だったんだというのを感じさせますね。あと、なんであんなにトレンチコートが好きなんだろうと思いました(笑)。スパイになりたかったらしいんですけど。きっとベッドの中で漫画を読みながら、いろんな村山聖像を作っていたんでしょうね。何不自由なく普通に学生生活や恋愛を経験してきた僕からすると、そのまっ白な感じがまぶしく思えて。聖がお札を破いて捨てるシーンの撮影では本物のお札を使ったんですけど、僕は正直、ビビってました。普段、お札を破るなんて考えもしませんよね。それも、自分がごく普通に生きているからだろうな、と。そういうこと一つをとっても、いろいろと考えさせられる現場でした」

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羽生役・東出との“名勝負”



 ライバル・羽生善治を演じるのは東出昌大。なんと東出も将棋好きで、しかも羽生棋聖の熱烈なファンだった。2人の壮絶な対局だけでなく束の間の心の交流も、大きな見どころ。

「クランクインまで、監督の指示で東出君とは会えなかったんです。もちろん、その効果はあったと思います。僕らが仲良くなって、村山さんと羽生さんの関係をほったらかしにするのは良くないし、情報が入らないことでこの人が羽生さんなんだと集中もできますし」

 今回の撮影は基本的に時系列で行われた。クライマックスとなるのはNHK杯決勝をモデルにした羽生戦。鬼気迫る死闘の行方に圧倒される。

「やはり順撮りだったからこそ、あれだけのものが撮れたと思います。あの“負けました”を言うためには、村山聖として生きた1カ月間が必要だったんだと。それは、東出さんにとってもそうだったんじゃないかな。あそこに行くために、それまでのシーンがあったんだといっても過言ではないと思う。また病状についても、がん告知を受け、いよいよ死が自分に近づいてきたというところを表現するには、時系列で演じていく必要があったと思います。そこは森監督もこだわってくれたので助かりました。そんなところからも、森監督が役者のこと、芝居のことを本当に考えてくれていると感じました」

 将棋を知らない人でも1手に込められた意味が伝わる、松山・東出の演技は見事の一言。松山から見た村山将棋の魅力とは。

「村山さん自身も動物的な感じがするんですけど、洗練されていない感じがするんです。僕は棋譜を見てすべてが分かるわけでも将棋を知り尽くしているわけでもないですが、村山さんの将棋は荒いという印象は原作本にも書かれていましたし、羽生さんもそんなことをおっしゃっていましたね。先日、取材でご一緒させていただいたときに聞いたんですが、羽生さんも当初、荒いなと思っていたんだそうです。それが、村山さんがデータを研究したりするようになり、徐々に洗練されて強みがいろいろなところに出てきたと。最初は、荒くて危なっかしくてという印象だったみたいですね。確かに村山さんは手つき一つにしても、どーんといくときもあればパチッといくときもあって、いろんな指し方をするんです。僕の中では、プロ棋士の方は割と指し方が一定という印象があるんですが、村山さんにはいろんなバリエーションがあって、それがすごく興味深かったです」


もう将棋では負けられない!?


 村山は5歳のころ入院中に将棋と出会い、13歳には森信雄四段に弟子入りを自ら決意。松山にも、そんな村山に通じる面が…。

「僕は、サッカーしたりゲームしたり、基本的には周りの子と同じようなことをしていたと思います。ただ、小さいころから走るのが好きでしたね。中学時代は陸上部に入っていて、その部では一番頑張った人が表彰される敢闘賞のような賞があるんですが、ある年なぜか僕がその賞をもらったんです。自分では理由に思い至らなかったんですけど、聞けば、100メートルだかの記録を計ったときに、結果に納得できなかったのか、もう1回走らせてくれと僕が言い張ったとかで、それが受賞の理由だったようです。今考えると、僕もけっこうな負けず嫌いだったんでしょうね」

 1995年、26歳の村山は上京。

「村山さんにとっても東京は戦いの場だったというか、挑戦や成長を求めて上京したんだろうな、と思います。東京は、いろいろな人が集まっているので、自分が積極的に外に出ていけば面白い出会いがたくさんありますよね。僕自身、東京で素晴らしい出会いをたくさん経験しました。でも苦手といえば苦手で(笑)、あくまで自分は地方出身者で、東京に出張しているという感覚がまだどこかにあるんですよ。だからいつか、田舎でゆっくりと暮らすかもしれません(笑)。といっても自分はまだ30歳ですし、これからも東京で俳優としていろんな仕事に挑戦していきますけどね」

 東京でも、千駄ヶ谷の将棋会館や鳩森八幡神社など村山が実際に通い、歩いた場所で撮影を行っている。

「実際に村山さんもここを歩いたんだなと思うと不思議な感じでしたね。そういうことも、何かしらの栄養になっていると思います。ただ、セットもかなりリアルだったんですよ。千駄ヶ谷の将棋会館では桂の間というところがプロ棋士のたまり場になっているんですけど、映画では別の建物に桂の間を作って、そこで撮影しているんです。あまりにも完璧に再現しているので、羽生さんも驚いていました。将棋会館には僕も少し通ったんですよ。いろんな年代の人がいて、子供とお年寄りが対戦していたりするのが面白いと思いました。対局もさせてもらいました。小学生に完敗しましたけど(笑)。それが悔しくて練習して、子供相手ながら勝ったときは本気でうれしかったですね。役作りのはずが、何をやってるんだと自分でも思いましたが(笑)。練習していく中でどんどん強くなっていくので、遊びでやる分にはけっこう勝てるようになっちゃいました。でも今は、あまり人と指していないんです。万が一、僕が負けて“村山聖に勝った!”なんて言われるとしゃくだから(笑)」

 演じ終えても負けず嫌いは変わらぬ様子。これまでとは違い今回は撮影後もしばらく次の作品のことを考えられなかったというが、村山聖の生き方と共鳴した松山の情熱が、これからも彼の挑戦を支えていくはず。(THL・秋吉布由子)

 

映画が公開されるまでまだかまだかと思っていたけれど、森師匠はじめ村山聖九段と親しかった方たちはまた少し心寂しい気持ちになるのではないかと思うと…でも、思うんですよね。こうしてまだ彼と交流のあった人達、ご両親が健在のこの時にこの作品が無事完成して映画として劇場で公開されるということは寂しく切ない気持ちもあるかもしれないけれど、生きている人たちがいる間に再び村山聖九段の姿を見ることが出来る喜びの方がこれから先のことを思うとよかったのではないかと思うんです。

もしもっと先にこの作品が作られたとしてもそのころには今みたいに彼を直接知っている人たちもどのくらい残っているかわからないわけで、そうおもうと今この時で本当によかったと私は勝手にそう思っています。

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