感じる存在感
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2017.6.13記述
京都新聞より

20170612京都新聞


壇ノ浦の戦いで生き残り、ひきょう者とも言われた平家最後の最高実力者・平宗盛をしのぶ集いを、「終焉(しゅうえん)の地」とされる野洲市大篠原の住民らが11日に初めて開催した。32年前に没後800年の「宗盛忌」の計画が持ち上がったが、賛同者が広がらず、地元に残る石塚も忘れられたような存在だった。専門家によると、宗盛再評価の声が近年高まっており、住民らは「『盛者必衰』の意味を感じてほしい」としている。

 宗盛は平清盛の息子。郷土史「近江大篠原の歴史」によると、壇ノ浦の戦いで源氏に敗れて鎌倉へ護送され、再び京都へ送られる途中、1185(元歴2)年6月に大篠原で源義経が斬首したと伝わる。現地には宗盛の石塚や案内板、息子清宗の石塚がある。

 しのぶ集いは、住民らでつくる大篠原まちづくり協議会とまちおこし団体「ぶらり街道勝手連」が企画した。勝手連が昨年3月に「地元の自慢できるものを探そう」とまち歩きをした際、宗盛を知ったのがきっかけ。住民らは、かつて石塚の供養をしていた地元の浄勝寺の住職安藤正雄(しょうゆう)さん(69)の協力で勉強会を開き、宗盛が無能だと言われることや、以前の計画を知った。「評判の良くない人物を取り上げてよいのか」と迷いもあったが、大篠原の歴史に詳しい人から歴史の評価は一様ではないと後押しされたという。

 平家物語の時代に詳しい京都大の元木泰雄教授(日本中世史)によると、宗盛は物語でひきょう者、臆病者として描かれ、壇ノ浦の戦いでも自害を恐れて逃亡したため評価が低かった。しかし、10年ほど前から「死に切れなかったのは息子を思ってのことで、家族思いの優しい性格だった」と再評価されているという。「天才・平清盛の後を継ぎ、平家を盛り返した宗盛を再認識する地元の取り組みは意義深い」と話す。

 住民らは石塚や参道を掃除し、周囲に白い砂を敷き詰め、献花用の竹筒も設置した。11日には安藤さんが読経し、参加者が焼香した。フェイスブックを通じて集いを知った神戸市の平家ファンのグループからも参加の連絡が届いた。

 しのぶ集いは毎年続ける方針で、同協議会の橋登喜雄(ときお)会長(66)は「平家の隆盛が途絶えた野洲を、歴史好きや平家ファンが集う場にしたい」と話す。


20170611宗盛公を偲ぶ会001


本当は参加したかったんですが、先週から体調を崩して今回は残念ながらあきらめました。来年も開催されたら絶対参加したいと思っています。いや、今回を機会にぜひ毎年開催していただきたいものです。

関係者の方が神戸・清盛隊の事を知って、連絡を取って今回残念ながら本人は参加できませんでしたが、清盛様、重衡様、敦盛様、GIONちゃんが法要に参加することになりました。この野洲は清盛様にとっても縁のある場所ですからね。

無能じゃない、心優しい宗盛様の事をたくさんの人に知ってもらえるといいなぁ…



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