FC2ブログ
感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
 2010.2.24記述
ぴあEXより

殺し屋として現代に暗躍する忍者の一族。
そこで人間凶器として修行を積んだ青年が、あるとき反旗を翻す。
それは、正義のためでなく、一個人として決して許すことのできない殺戮を、一族が血の掟の下に遂行したからだった。
かくして彼は、最強の師匠との決戦の一瞬を迎える。

『ニンジャアサシン』は、マニアックなジャンル映画ではない。
これはひとりの主人公をつぶさに追いかけた物語だ。


ぴあEX001


武道に長けたアクションスターではなく、アジアを代表するミュージシャンが主演していることが、特別なオーラをもたらしている。
一言でいえば、活劇シークエンスとドラマ部分が分離していない。
演じる者が同じ呼吸で、そこに存在し続けているからである。

演技者としてのRAINの真価が「観る者に違和感を与えないこと」だと、『ニンジャアサシン』は証明する。
きわめてフィクショナルな背景を持つ主人公、雷蔵が彼を調査する黒人女性科学捜査官を守ろうとするとき、「こんな人間がいる」と思わせる何かが発動するが、RAINの芝居は自己主張のかけらも感じさせないほどフラットだ。

歌い手としての、踊り手としてのカリスマ性は、そこで驚くほど自然に封印されている。
おそらく、作品や作り手が求めるものに反応し、返していく力が尋常ではないのだ。

映画はまだ3本目。
さらに連続ドラマもわずか3本だけ。
例外的に少ないこの演技経験で、この境地に立っているのは奇跡としか言いようがない。
本人はインタビューで「努力」の一語を繰り返す。

しかし、RAINがいま見せている演技表現は努力だけでは決して到達できない類のものだ。
天から授かった「ギフト」に彼自身が気づいたとき、「扉」はさらに大きく開くことになるだろう。


ケンイチと同じくチョン・ジフン(RAIN)という俳優も自分が演じるキャラクターを絶対的に信じ、そしてその作品をスタッフを信じそのキャラクターの人生を生きようとしています。

この「ニンジャアサシン」は今までにないくらい自分を追い込んで挑んだ作品です。
食べたいものも我慢して、遠いドイツの地で慣れない英語のセリフを勉強しながらあの強靭な体を作りアクションのために死にそうになりながら完成した作品。

たんなる自分の野望だけではない、そこには長年この作品を映像化したいと願っていたウォシャウスキー兄弟はじめ色んな人の希望や思いを背負って完成した作品です。

日本では今のところ東京都大阪の2館だけの上映になりますがこれは決して韓流映画ではありません。
R18指定なので若い子たちに見てもらえないのはとても残念ですけど本来アクションを経験した人がアクション映画に出演しいているんじゃない、主人公雷蔵のようにRAINも同じように雷蔵になるべく訓練をしました。

ケンイチファンの人にはぜひご覧になってもらいたいなと思う作品です。
スポンサーサイト



コメント
この記事へのコメント
URL :
コメント :
パスワード :
管理者にだけ表示を許可する
 
Template designed by アクセラと+αな生活(ホノミ)

Powered by .