感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
2011.11.15記述

eiga.comより

「ニンジャアサシン」紹介ページの「映画評論」に鷲巣義明さんが書いてくださっているレビューをご紹介したいと思います。

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記事内容は2010.3.12に下書きしておいたものです。

作り手たちのニンジャ映画「再構築」の真剣さを強烈に感じさせる



タイトルとかつてのニンジャ・スター、ショー・コスギの出演から、どうしても80年代隆盛の外国製ニンジャ物の再来か?と想起させるが、過激な肉体アクションを駆使したトンデモない痛快作かも、と早々に考えをあらためることになった。

プロローグの大阪の場面では、雷蔵の手により若いヤクザたちの肉体が残虐に四散し、おびただしい血が噴出する。そして、まもなく雷蔵を演じるRainが初めて肉体を披露する場面では、その研ぎ澄まされた筋肉質に驚く。マッチョとも異なる、ニンジャに必要なしなやかな筋肉美にだ。この2つの場面で最初に抱いていた「再来」が簡単に払拭され、作り手たちのニンジャ映画「再構築」のマジ度を強烈に感じさせてくれた。


忍者の根源にある精神と、現代にニンジャが暗躍していたら?を考察して大胆に融合させ、しかも80年代のニンジャ映画にあった痛快な無国籍風味をも取り込み、現代のニンジャ映画にあるべきダイナミズムとファンタジー性を提示しつつ、闘うヒーロー映画の鉄則をも堅く踏まえている。

真のヒーローになり得るには一度は傷つけられ痛めつけられ、体がボロボロになりながらも、なおかつ立ちあがる宿命を背負うもの。抜け忍・雷蔵とて同様で、愛する女(ひと)の命を奪った、一族の父親的存在・役小角(えんのおづぬ)との一騎打ちに至る終盤まで、刀や手裏剣で痛々しいまでの深手を負いながらも、Mっ気観客を存分に満足させるような痛々しい勇姿をこれでもかと堪能させてくれる。

雷蔵の体の傷痕一つ一つが、激しい痛みと共に愛と憎しみの記憶を刻み、且つアサシン(暗殺者)として造られた哀しみの烙印になっている。抜け忍として独り生きる彼の肉体そのものが、<物を言う>作品だと断言してもいい。

日本ではどうしても「なんで雷蔵という名前なのに日本人じゃないんだ」とか「韓国人がニンジャ?」などと本編も見ずに、そして見る人間も最初から何かそういう目で見るからなのかなかなか素直な目で作品を見てもらえない事が多いけれど、その中でこのように主人公の置かれている運命を理解しわかりやすく解説してくれているのは嬉しいです。

日本ではさておき、現在もアメリカでのDVDのセル販売は順調のようです。
この作品のアクションのために本当に凄まじい訓練を受けたRain、今は軍隊に行って厳しい規律と訓練の日々を過ごしていますが、下手するとこの映画の撮影準備のための訓練の方が彼にとっては過酷だったかもしれません(笑)

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