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季刊誌「考える人」より村上春樹ロングインタビュー




2010.7.27記述

自分がひとつの視線として物語のなかに入っていって、何かを目撃し、反応し、その様子を描写する。
『ノルウェイの森』も書き方としては同じですね。

先日トラン・アン・ユン監督の映画の試写を見てきたけれど、映画を観ていてもやっぱり、ああこれは「僕」がいろいろな風景や出来事をくぐり抜けていく話だったんだなと思いました。

おぉ!もうすでに村上さんは作品をご覧になられているんですね~。
どうだったんだろう…気になりますね(^・^)

--映画自体も、一人称的なつくりになっていたということですか。

いや、そうじゃないです。
映画になったものを見て、『ノルウェイの森』って実は女の人が中心になっている話だったんだと、はっと気づいたんです。書いているときは一人称で男の目線で見ているから、これは基本的にワタナベトオルという一人の青年の遍歴の物語だと考えていました。たぶん多くの読者もそう思っているんじゃないかな。

でも映画になったものを見ると、この物語の中心にあるのは女性たちだということがよくわかります。
緑さんと直子さんとレイコさん。それから水沢さんのことが好きなハツミさん。この四人の女の人の物語なんです。この女性たちの存在に比べると、主人公も含めて男たちの存在はむしろ希薄です。


小説では一人称の視点によって語られ、進められているものごとが、映画に作り替えられるとそうではなくなる。
つまり画面にはワタナベトオルという人間も、ほかの登場人物といわば等価のものとして提出されるわけです。
そうすると、結果的にが一種の三人称的な話に翻訳されてしまう。

多分、観る立場によっても違ってくるのかもしれません。
男性と女性とでもきっと読む視点も違うだろうし、自分とキャラクターの共通点があればまた違ってくるし、ワタナベの視点で書かれていてもワタナベってストーリーテラーみたいな感じの役目のように感じます。

映像になったものと本を読んでそれぞれの頭の中のイメージとのギャップをどう楽しもうか楽しみでもありますね。

--ということは、一人称で書かれたものではあったけれども、描かれている世界自体をよく見ていくと、すでに三人称的な世界がそこで始まっていたとも言えるわけですね。

結局のところそのへんは、一人ひとりのキャラクターをどれだけ描き分けられるかという問題になってくると思うんです。
ずいぶん前に書いた作品だけど、四人の女の人がそれぞれ異なったキャラクターとして設定されていて、映画という別の視点から見て、それが興味深かったな。今から思えば、三人称で書かれていてもおかしくない話ですね。

明確な三人称とかではないけれど、ワタナベという人間を通じて語りかけるそれぞれの女性たちの言葉は強烈な個性を持って読む人間に何かを訴えかけているように思いますよね。映像だと立体として表現されるし、原作のワタナベの説明セリフ(回想部分?)が映像でどうなるのか?気になる部分です。

(中略)
『ノルウェイの森』はもともと250枚ぐらいの、さらりとした小説にするつもりだったけど、書き出すと止まらなくて、結局長篇になってしまった。書き終えたとき、リアリズムの話はもう十分だと思いました。こういうのは二度と書きたくないと。

書いていくうちにどんどん長くなって気がつけば長篇になっちゃったと…(笑)
でも、もし短篇になっていたらどうなっていたんだろう?想像できないけど(汗)

--どういうところが、「こういうの」と思われたんですか。

これは僕が本当に書きたいタイプの小説ではないと思った、ということです。

…これは衝撃的な一言ですね(>_<)

--そんなふうに、書き終わったときに、「これは僕の書きたい小説ではない」と思うような経験はほかの小説でもありましたか。

ないです。
あの本は僕にとってはあくまでも例外だから。
あのとき『ノルウェイの森』という話を、あの文体で書いておくことが僕にとって必要だったんです。
ここをきちんと押さえておく、みたいに。今でも短篇のあるものはリアリズムの文体で書きますよ。書こうと思えば、そしてもしそうすることが必要であれば、書けます。でもリアリズムの長篇はもう書きたくない。

--どうしてでしょう。

自分の中をさらうという感じがないんです。
『ノルウェイの森』は、書いている時はその世界に深く入っていたし、もちろんそれなりの手応えはあったんだけど、書き終えて自分が変わったかというと、どういう実感がありません。

それと、あそこに出てくる登場人物たちがその後どうなったかとか、そういう興味が不思議に湧いてこない。
続篇を書かないのか聞かれたことがありますけど、書けないです。他の小説だと、いろんな人たちがまだ僕の中に残っていて、ある場合には、新しく書かれることを求めてくる。でもあの小説はあそこで終わっている。


それをどう受け取ればいいのかわからないけれど、小説は小説として完結してしまっているその一言なのかな~。
たしかに、あのラストシーンのあとワタナベはどうなったんだろう、現在(小説の冒頭)のワタナベがその後どうなって何をしているんだろうと読者は気になる部分はあると思うけど、村上さんの中では書くことで完結したのかもしれないですね。

(中略)
『ノルウェイの森』の場合、リアリズムの文体でも長い小説がひとつ書けるという確証が自分に欲しかったんだと思います。
自分を広げていきたかった。実際に書きあげて確証ができたら、あとはまたべつのことをやる。
だから、
こういうことを言うとなんだけど、本来の自分のラインにない小説があそこまで売れるというのは、けっこうストレスフルでした。

自分が想像していた以上に「ノルウェイの森」という作品が受け入れられて、いろんな面で大変だったようですね。
私は映画化が決まってから初めて読んだので当時の人気は知っていたけれど具体的にこの物語がどういう話なのかというのはあまり知りませんでした。

でも、当時本当にいろんな雑誌や番組で「ノルウェイの森」が取り上げられていて、村上さん自身も色々大変だったんですね。そんな作品を今回映画化することになってそれも時間が流れ、映像にできるタイミングが出来たのでしょうか。

このロングインタビューはメインは1Q84のことが多いけれど、とても興味深い内容の濃いので興味のある方は本屋さんで見つけたらパラパラと見て気に入ったらぜひ購読してみてください。
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