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小川プロデューサーの【映画「ノルウェイの森」ができるまで~ノル森ノート】を配信します!
作品との出逢い、奇跡の映画化が実現するまでの秘話をつぶやいていただきます!(A)

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最終更新日:2010.12.14

【ノル森ノート58】
そして、パリに帰ったトランは脚本にとりかかることになる。しかし、それにはまた、途方もない時間がかかることになるのだった。

【ノル森ノート56-57】
翌日、監督はパリに向けて発った。僕は村上さんの事務所にお礼のメールを出した。「アスミック・エース小川です。昨日はありがとうございました。トラン監督は本日パリに向けて発ちました。監督は村上さんの率直な言葉にいたく感激をし、このプロジェクトが大きく進んだ喜びを噛みしめておりました。『ノルウェイの森』は村上さんにとっても我々にとっても、全ての人にとっても大切な作品です。とにかくベストを尽くすしかないと監督も私共も考えておりますので、今後もよろしくお願いします

【ノル森ノート50-55】
トランの話を聞いた後、村上さんは、でも、今ここですぐ映画化を許諾するわけにはいかない。それは理解してほしい、という趣旨の事を述べた。「ほんとに、特別な作品なんだよ」と。僕は「もちろん、それは理解できます」と答えた。そして、こう付け加えた
 
「僕はずっと村上さんの作品を読んできました。だから、この作品を映画にするということが、自分にとっても(他の作品とちがって)特別なことなんです」と僕は言った。村上さんは「じゃあ、こうしましょうか」と答えた。映画って、脚本のかたちで読めばある程度どんな作品になるかがわかるよね。今、話を伺ったけれど、自分はもう少しきちんと内容を検討したいんだ、という趣旨のことを村上さんは言った。「脚本は誰が書く予定なの? それを読むことはできるかな?」脚本はトランが書く、それは決まっていた。僕は村上さんにそれを伝え、脚本ができたら、それを村上さんに読んでもらうことになった。「では、脚本を書くことはOKなんですね?」と僕は念押しした。監督は、自分は一生懸命書くから待っていてくれ、と。」

脚本はフランス語で書くのだが、日本語に翻訳すると気が散って読みづらいので、村上さんには英語に翻訳したものを読んでもらうことにした。面談の最後に、僕はお守りとして持ってきた『ノルウェイの森』の初版本を取り出した。これにサイン頂けますか?村上さんは快くサインをしてくれた。もう会えないかもしれない、この機会に、という気持ちもあった。でもあとから考えると、これは、僕と村上さんとのリーガルではない、もっと精神的で象徴的な契約としてのサインだったんだ、と後になってから気づいた。

【ノル森ノート49】
トランは、原作を1ページづつ切り取って貼ったMUJIのノートを取り出し、原作をどう映画化したいかを語りだした。この作品のどこに惹かれて何を描くのか。彼が一番魅力に思ったのは、ワタナベの若さ。哀しみの中に苦悩する若者たちの美しさだった。

【ノル森ノート48】
実際、トランは映画の編集が終るまで、村上春樹の他の小説は一切読まなかった。その後、かたっぱしから読み、今のところ『スプートニクの恋人』が一番のお気に入りである。あれは凄い!シンジ、お前は読んだか?って、とっくの昔に読んでます。もちろん。

【ノル森ノート47】
自分は94年にフランスで翻訳されたとき、初めて『ノルウェイの森』を読んだ。村上さんの本を読むのはそれが最初で、あまりに感動したので、その印象をずっととっておくために、村上さんの他の小説を読むのは封印してしまったほどだ。とトランは語った。

【ノル森ノート41-46】
村上さんの事務所を訪れた日は快晴。青山にある事務所は古い時代の高級マンション(今は別の建物に引越してしまった)だった。その日のメンバーは僕と通訳の姜さんと監督の3人。僕はお守りとして17年前に買った『ノルウェイの森』の初版本を持参した。

出迎えたアシスタントの女性に従って中へ入ろうとしたその時、奥からタオルを肩にかけた村上さんが、「今走ってきたところなので、少し待っていて下さい」と声をかけた。それがとても印象的だった。トランもそれをずっと覚えていて取材でも言及している。
 
村上さんが部屋に入ってきて僕達の前に座った。目の前にいるのは本物の村上春樹だ。嘘ではなく。その日、終って外に出たらシャツが汗でびっしょりだった。緊張していたのだなあ。別にとって食われるわけではないのだけれど。だって村上春樹だから。

村上さんとの面談は1時間ぐらいだった。村上さんは、映画化に関しては決して前向きではなかったし、特に長編に関しては常に慎重に考えてきた。だから今まで申し出は皆断る結果となった、という趣旨のことを言った。特に『ノルウェイの森』は自分にとって特別な作品だから、と。
 
「今回、それでも僕がトランに会おうと思ったのは、トランの作品を全部見ていて、作品を気に入っていたからなんだ」と、村上さんは言った。そして、自分も50歳をすぎて年をとると少しずつ考え方も変わってきてね、と少し声の調子を変えて言葉をそえた。

村上さんの言葉は、すごく真摯に今回のことを考えているのだ、という印象を与えた。少し感動すらした。もう何年もいろんな申し出がある度に考え、時には真剣に悩むようなこともあったんだろうなと思った。すると、トランが村上さんに向かって語りだした。

【ノル森ノート40】
面談の前日、トランと打合せを行った。どんな風に『ノルウェイの森』を映画化したいか、直接彼の口から聞いた。トランはフランス語版のペイパーバックを切り取りMUJIのノートに貼付けて、そのノートの余白にメモをびっしり書いたものを持参していた。

【ノル森ノート39】
初来日の日程。04年の5月24日来日。渋谷のセルリアンタワーホテルにチェックイン。15時30分ホテル出発。16時アスミック・エースにて打合せ。夜会食。25日:14時ホテル出発。14時30分村上春樹事務所にて打合せ。26日:パリへ帰国。

【ノル森ノート38】
トランが日本へ来たのは村上さんと面談する1日前だった。トランと僕とを繋いでくれた伊藤さんと空港まで迎えに行った。トランとはこの時が初対面だが、メールのやりとりをしていたので、長く会っていなかった友人と再会するような感じだった。

【ノル森ノート36・37】
村上さんが会う気になったのは、トランが撮った作品を見て気に入っていたからだ。アシスタントの方からは『ノルウェイの森』はとても特別な作品なので常に慎重に考えている、それを理解いただいた上で面会できるのであれば、自由に話合いができるでしょうと書かれていた。面談は海外に出た村上さんの帰国を待って2004年5月の下旬に行われることになった。

【ノル森ノート35】
村上春樹に会える!そんなことが現実になるとは思わなかった。トランとのメールのやりとりは数名の人間が知っていたが、一人の若い女性社員がメールをくれた。『ノルウェイの森』は私の人生で最も大切な小説なので、胸がドキドキして冷静ではいられません

【ノル森ノート34】
村上さんの事務所から連絡があったのは04年の2月。バレンタインを少し過ぎた頃だった。この頃、村上さんは主に海外に滞在しており、日本と外国をいったりきたりしていたようだ。アシスタントの方のメールには、監督の話を伺ってもよい、と書いてあった

【ノル森ノート33】
村上さんに手紙とDVDを送った後、僕は次の作品の撮影準備に入り多忙な日々を送っていた。03年の秋から04年の秋まで本当に忙しい年で僕は4本の映画の撮影をしている。『約三十の嘘』『恋の門』『真夜中の弥次さん喜多さん』『メゾン・ド・ヒミコ』

【ノル森ノート32】
村上さんに手紙を出したのは2003年の暮。本当はもっと早く出そうと思っていたのだが、トランが送ってきたDVDがPAL仕様でNTSCに変換する必要があったり、僕が『約三十の嘘』の撮影や『ジョゼと虎と魚たち』の公開を控えて忙しかったからだ。

【ノル森ノート31】
トランは、とにかく村上春樹に会って話をしたいという事を伝えるようにしよう、と僕に提案をした。よし、わかった。そうしようということで、僕の手紙とトランの手紙に彼の作品DVDと、トランが映画をイメージして選曲したCDを添えて送ることにした。

【ノル森ノート30】
このメールをきっかけとして、トランと僕のメールのやりとりは2003年9月の終わりから11月にかけて行われる。村上さんに手紙を送るということで意見は一致。村上さんに送る手紙の内容をどのようなものにすべきか、ということを二人で検討した。

【ノル森ノート29】
原作は日本語で書かれているので、日本人キャスティングで日本語映画にした方が日本マーケットを考えた時に有利です。この場合は日本でファイナンスすることが可能です。その場合、脚本は貴方が書くのか、日本人のライターに任せるのかも検討課題です。
【ノル森ノート26・27・28】
あの素晴らしい小説を映画にする作業はすべて、村上氏が我々にあの作品を委ねてくれると決心しなければはじめられません。まず、あなたと私の『ノルウェイの森』映画に対する想いとプランを村上氏に提示し、彼を説得することからはじめましょう。 僕はトラン・アン・ユンに送った最初のメールを以下の文章で締めている。――村上氏へ手紙を書く前に、貴方の『ノルウェイの森』の映画化に関するプランを検討したいと思います。どんな言語を使用するのか、日本が舞台なのか、それともどこか別の世界を舞台にするのか、ストーリーの軸をどうするのか、原作は60年代の終わりから70年代初めが舞台だが、現代の話にするのかどうか、などです。

【ノル森ノート23・24・25】
トラン・アン・ユンさま。はじめまして、私はアスミック・エース エンタテインメント株式会社で映画制作部プロデューサーの小川と申します。伊藤の方からご連絡をさしあげていた村上春樹原作『ノルウェイの森』の映画化の件でメールを差上げております。 貴方と同様、私も『ノルウェイの森』をはじめとする村上作品を映画化したいと切実な願いを持っています。
私は今回のプロジェクトに関し、以下の問題点をクリアしなければならないと考えています。
第一に「村上氏から映画化の許諾を得ること」
第ニに「ビートルズの曲使用の許諾を得ること」。
第三にファイナンス。
最大の難関は一番だと思います。これがクリアでき次第、脚本の開発にとりかかり、二番以降のプロセスに入りたいと思います。(以下中略)

【ノル森ノート21・22】
02年の暮れから、03年の春にかけては『ジョゼと虎と魚たち』の製作にかかりきりだった。この作品も『ピンポン』と同様、僕にとって大切な作品になったのだが、作品の試写が終わって一息ついた頃、『少年カフカ』が出版され、それを読んだ僕は…トラン・アン・ユンが『ノルウェイの森』をやりたいって言ってたことを思い出した僕は伊藤さんにお願いして、トランにメールを送る。「まだ『ノルウェイの森』の映画化をやる気があるかい?」と。
【ノル森ノート20】
その時はへえ、と思ったのだが、『ピンポン』の仕上げにかかりきりで、そのまま聞き流していた。2002年に『ピンポン』が公開され、大ヒットをして、僕の映画製作のペースがぐっと加速して忙しくなっていく。2002年9月、『海辺のカフカ』出版。

【ノル森ノート19】
『夏至』の公開は2001年。その時の宣伝プロデューサーは伊藤さん。彼女は、トランに「日本で興味がある作家はいないの?」と聞いたらトランは、村上春樹、『ノルウェイの森』を映画化したい!と熱心に語った。それを後から僕は聞いたのだ。

【ノル森ノート18】
トランから最初に『ノルウェイの森』を聞いたのは、当時『夏至』の宣伝プロデューサーをしていた伊藤さん。渋谷のやさいやの2階でのこと。僕はその年(2000年)の夏『ピンポン』の撮影をしていた、ちょうどその頃の話である。

【ノル森ノート17】
それでもトランは他の企画を進めながらも『ノルウェイの森』に対する執着は捨てなかった。そして21世紀になった年、アスミック・エースは彼の新作『夏至』を配給。映画のキャンペーンで来日した彼は、またしても『ノルウェイの森』を映画化したい、と。

【ノル森ノート16】
あとは、ビデオ会社が低予算のジャンル物を作るかTV局が大手と組んで年に1本作る時代。それに、当時の業界では村上春樹が映画化を一切許諾しない、というのはもはや常識ではあった。

【ノル森ノート15】
ま、それはそうだろう。まず第一に、この頃の日本映画界は今とちがって、インディペントの配給会社が製作をする、なんてことは考えられなかった。邦画といえば大手メジャーがブロックブッキングのプログラムを埋めていくために製作するのが主流だった。

【ノル森ノート14】
その後、96年に日本公開した『シクロ』の時も『ノルウェイの森』を映画化したい、と周りにいる日本人に言ったのだが、誰もまともに相手をしなかったらしい。

【ノル森ノート13】
トランはすでに前年『青いパパイヤの香り』でカンヌ国際映画祭の新人賞であるカメラ・ドールを受賞している。94年に『ノルウェイの森』を読んだトランは、この映画の来日キャンペーン時に、これを映画化したい、と言っていたそうな。

【ノル森ノート12】
監督のトラン・アン・ユンは94年に『ノルウェイの森』がフランスで出版された年に初めて読んだ。僕が日本語で読んだ7年後である。

【ノル森ノート11】
まぁ、そういうわけで、87年に『ノルウェイの森』を読んだあと、僕の中でこの小説はしばらく忘れられることになる。

【ノル森ノート10】
おそらく『ノルウェイの森』は当時いろんなプロデューサーが映画化をオファーしていたのだろうと思う。僕は映画化を申し込むどころか、プロデューサーでさえなかったので、そのあたりの業界事情はまったくわからなかった。

【ノル森ノート9】
『ノルウェイの森』が売れすぎて村上さんはそれを取り巻く状況に嫌気がさしてアメリカに行ってしまった。僕のような古い村上ファンはこの作品を機会に以後読むことをやめた者もいる。僕は翌年の「ダンス・ダンス・ダンス」を読んで納得し読み続けたのだが。

【ノル森ノート8】
『ノルウェイの森』を最初に読んだとき、面白くは読んだのだが、それまでの村上作品とあきらかに違う傾向だったので、正直戸惑った。もっと戸惑ったのはこの作品が年末にかけて爆発的にヒットしてベストセラーになったことだ。

【ノル森ノート7】
この年、物故した人。岸信介、ダニー・ケイ、平沢貞通、トニー谷、梶原一騎、鶴田浩二、石川淳、深沢七郎、石原裕次郎。

【ノル森ノート6】
この頃、すでにバブル経済が始まっていて、地価はものすごく高騰していた。僕は社会人になって1年目。アスミックという会社に入ったばかりで、映画製作を夢見てはいたが、現実とのギャップがありすぎて毎日会社をやめることを考える辛い日々だったなぁ。

【ノル森ノート5】
『ノルウェイの森』が出版された87年といえば、まだ昭和の時代。この年、国鉄が分割民営化されてJRができた。それまで山の手線などは国電とか言ってたのが、突然E電という名称になって戸惑った。誰も使わず、すぐ廃れてしまったが。

【ノル森ノート4】
中学高校の頃から、チャンドラー、ヴォネガットが大好きだった僕にとって、10代の後半で出会った村上春樹の登場は快挙だった。僕らの気分を僕らの文体で表現する作家が現れたと思った。僕にとって村上春樹は新作が出たら必ず買う作家の1人になっていた。

【ノル森ノート3】
原作が出版されたのは1987年の9月。村上春樹作品を1作目からずっと読んできた僕は、高田馬場の芳林堂で買った。当時村上さんはすでに注目される作家になっていたから、新刊書に平積みになっていた。あの赤と緑の装丁は場違いな感じで目立っていた。

【ノル森ノート2】
僕たちの間では我々がしつこく映画にさせてくれとせまったので、村上さんが根負けしたのではないかというのが定説である(笑)なにせ、最初に村上さんに会ったのはかれこれ6年前になるのだ。今思い返すとものすごく長い道のりだったなぁ。

【ノル森ノート1】
映画『ノルウェイの森』において、原作者である村上春樹さんがなぜ僕と、監督であるトラン・アン・ユンが映画にすることをOKしたのか、本当のところは村上さん本人にしかわからない。

【ノル森ノート0】
これからしばらく、断続的にそもそものこの映画のはじまりから、撮影にたどりつくまでの過程に関する一部始終をつぶやきます。【ノル森ノート】のスタートです。(P小川)
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