感じる存在感
松山ケンイチ/チョンジフン(Rain(ピ))2人の若き才能ある俳優/歌手を応援しています
ここはどこ…「ノルウェイの森」
鑑賞記録
1回目 2010.12.12 (日)
2回目 2010.12.14(火)
3回目 2010.12.20(月)
4回目 2010.12.23(木)TOHOシネマズなんば(デジタル鑑賞)
5回目 2010.12.27(月)
6回目   2011.1.5(水)
7回目 2011.1.15(金)TOHOシネマズ梅田アネックス(館内に監督とケンイチのサイン入りポスターが)
8回目   2011.1.20(木)
9回目 2011.2.1(月)

パンフ


私は別にハルキストではない。
「ノルウェイの森」も初めて読んだのは映画化されると言う事が分かってからだし…
本を読むのは好きだけど基本的にいわゆる世間で言われている「ベストセラー」と呼ばれる本をむさぼり読むと言うタイプの人間ではないんだなこれが(ーー゛)

とにかく、この映画を見てみようかと思う人に「ノルウェイの森ってどんな映画?」とも尋ねられたらワタナベ風にこう答えるだろう
「とにかくとても込み入っているんだ」
「とても複雑なんだ」
「やれやれ」
と言う感じの作品だよってね。(といっても勘違いしないでください決して否定的な意味ではありません)

まぁ、見る人間を選ぶ(いや試されているのか?)作品なのか?

これだけ聞いても全く意味不明でちんぷんかんぷんだと思うけれど、多分実際見たらその意味が理解できるのではないかと思う。そしてそんなことにならないためにもそれを覚悟の上で映画を観ることをお勧めします。そう考えてこの作品を見てもし自分の中で何か感じる事があればどんな感じ方であれ良かったのではないかと思う。

そして必ず言いたいのは「まず映画を観る前に原作を読んでほしい」と。
確かにこの原作もやはり映画のように一筋縄ではいかないのも事実。
私も最初からスラスラ読破出来たわけではない。
最初は読めそうなところからまだらな状態で読み始め、そして徐々に大きな隙間を埋めて行くように何度も繰り返しながら一通り読破した。でも1度全部読み終わるとそれ以降はスラスラと何度でも読むことができる摩訶不思議な本でもある。

原作を知らない人が観ると単なる「エロ映画」のように思われたり、意味不明な事が多いんじゃないかと思っていたから。そんなわかりきった事を言うくらいなら映画を見た後是非原作を読んでみて欲しい。そしてやたら「ハルキスト」と言う人たち。腐るほどきっと「ノルウェイの森」を読んでいると思われるのにあまりにも自分の中の妄想が膨らみ過ぎて映画の本質を自分の思い込みが強すぎて映画をちゃんとみることもできない人がいることも嘆かわしい限りです。そうい言う人のレビューを参考にする可哀想な人たちの存在。

原作を読んで、それでもなおこの映画が単なる「エロ映画」と思うならそれはその人がそういう風にしか感じられないと言う事でそれは映画の善し悪しなど全く関係ない事だと思うので。

そういう人たちにはこの作品でどうして、主人公たちの間にはセックスがあるのかという本質が理解してもらえないのではないかと。

確かに映画の中には原作を愛読しているファンにとって思い入れのあるシーンがなかったり、最後のレイコさんとのセックスに関しても「このシーンでその言葉を言うの?」と思う部分は少なからずあったけれど、でも私は全体的に見た時に自分が頭の中でイメージしていた原作の世界観がスクリーンで表現されていました。

私にとっては別に最初飛行機のシーンなんてなくても問題ないし、突撃隊のシーンが少なくても、緑のお父さんとワタナベのキュウリのシーンがなくても別に特に重要なことではないと思います。キャストが年齢相応に見えないと言うのも1960-70年代の人たちってある意味現代の同年代の人たちよりもずっと大人びて見えましたから気になりません。下着のままでセックスをするのに違和感がとかも想像力なさすぎです。大体それにこだわり過ぎても仕方ないし、映画の中では違う形で表現されていたりもしますから。

確かに残念に思うシーンや思い入れのあるシーンがないことも事実ですが、でもそれをも補えるほどの映像、キャスト、音楽、あらゆる作品にかかわった人たちの作品に込める愛を私は感じる事ができました。

小説では表現されてない部分が映像として目の前のスクリーンに映るそれこそが映画の醍醐味だなと思うし、なんでも説明すればいいのなら映画なんて見なければいい、映画はテレビドラマとは違うのだから。

どちらが欠けてもこの作品のよさは伝わらないような気がします。

まぁ、原作を読んでない人も読んだ人も注目してほしいなと思うのは最初の方のシーンに作品のキモなセリフが出てきます。
それが分かるかどうかで見た方ずいぶん違うんじゃないかと思うのですが…

【以下、思い切りネタばれがありますので見たくない人はここまでに(なお観た都度、気になるシーンや感想を追記・加筆していますのでだんだん長文になる可能性大なのでご了承ください)】


映画を見て、感想を書きながら補足として原作を並行して見ながら書いています。
違う映画も出てきたりもします(笑)でもベースは改めて映画を見て感じたことが多いですと言うか一応映画を見て感じた事だと思ってください。(原作はあくまでも補足と言う感じですね)これからなどか映画を見て行くとまた違う解釈や感じることも出てくると思いますが今日現在これを書いている時に感じた事をつらつら綴っておきます。(恐ろしく長くなります多分)

高校生の3人、キズキを中心に直子そしてワタナベ。
アイスの棒を剣に見立ててフェンシングをしたり、口に含んだアイスを口移しに食べる直子とキズキ、それを無邪気に笑っているワタナベ。プールのシーンでキズキに寄り添っている直子の満ち足りたような表情も好きです。

029_20110115120622.jpg  


一見普通の高校生のような生活を送る日常の中、しかし突然キズキが自殺をする。
このシーン(キズキの自殺のイメージ)は原作を読んだ中でもイメージ通りだった。
映画を見た人もなんでキズキは死んだんだ?と思うんですけど、原作でもキズキがなぜ死んだのかというのは明確な記述はありません。あくまでも直子やワタナベの会話の中でくみ取るしかないわけで…

ただ、突然死んだ、直子もワタナベもその事が自分のその後の人生に大きな影を落とすことになる。

ワタナベは更に人と接することに対して距離を持とうとし、キズキとの思い出のある土地を離れて東京の大学に進学する。日々特に何かに夢中になるわけでもなくアルバイトをしたり、同じ寮に住んでいる永沢さんに誘われて女の子をナンパしたりするような毎日。このシーンでレコードショップでキャッシャーを操作する指使いがとてもセクシーだなぁって(笑)大学では学生運動が真っ盛りで授業中であっても突然中断されることもしばしば。

授業中セクト学生が入って来て糸井さん演じる教授が「ギリシャ悲劇より深刻な問題が現在の世界に存在するとは私には思えないが…」と言うシーンをここで登場させるとは…

原作では緑と初めて話をしてから映画の中の「眠いの?」とワタナベが緑に訊ねるシーン(ベンチで寝ている緑の横で本を読んでいるワタナベのシーン)につながるのだが映画では最初の大学生活のシーンでの登場で1回目はなんか引っかかりながらも流されていったシーンですが2回目の時に見た時には「ん?これは…」見ている多くの人たちは糸井重里さんと言う部分と「ギリシャ悲劇」に気が行っているようだけど(わたしも1回目はそれに近かったけど)肝心なのは「愛する者に愛されないという一方通行の愛の連鎖とそれが生み出す悲劇がこのアンドロマケという物語である」これがこの物語の本質(キモ)な部分でここでちゃんと説明してるんですけどね…。このシーンのこのセリフを聞き逃してしまうか何か引っかかった人はかなり感じ方が違うと思いますが…如何なもんでしょう?(最初にネタばれしちゃっているんですよねある意味)

そしてある日、偶然にも直子と再会する。
でも久しぶりに再会した直子は少し雰囲気が変わっているように感じるワタナベ。どこかぎこちなく感じながらも散歩する直子に付き合うワタナベだけど、直子はまるでワタナベの存在自体ないかのようにただただ歩き続ける。

034_20110115172741.jpg 


嬉しい半面、直子のペースについていくのが難しいワタナベだが突然直子が立ち止った。
「ここは…どこ?」
この言葉は多分、最後ワタナベが緑に対して言った「僕は今どこにいるんだろう」と同じ意味合いを持っているのだと思います。ワタナベはこの時「駒込」と説明するけれど、この時の直子はきっとワタナベとの再会でそれまでワタナベと同じように封印していたキズキとのことを思い出して自分の存在自体どこにあるのかという事を自問自答していたのかもしれない。

思わぬ再会に嬉しいワタナベ、これを機会に2人は頻繁に会うようになる。
そしてある雨の日、直子の誕生日。ケーキを用意してロウソクを吹き消そうとする直前「あっ、ちょっと待って」と言い慌ててプレゼントを取りに来た時のワタナベのどアップ(特に目)がとても惹きつけられました。

052_20110115223656.jpg


直子はこの時、チャレンジ(自分に対しての賭けみたいな?)しようと思ったのでは、ワタナベの肉体を通じてキズキを感じたかったのかもしれない、またはキズキを忘れることができるかもしれないと思ったのかもしれないが、何もわからないワタナベは直子が初めてだという事実を知ってただただ混乱して性交の後「どうしてキズキと寝なかったの」と言ってしまった一言が直子の生きていくという希望の光を閉ざしてしまったのかもしれない。

この時のワタナベの驚きとその後「どうして…」と言った後に直子に突き放されたワタナベの戸惑いの表情と「ごめん聞くべきじゃなかったね」と言った時の目の表情がとても良いんです。そしてかきむしるように感情を高ぶらせて泣く直子は原作では具体的に書かれてないんだけど多分こんななんだろうなと思えて切なくなってくる。翌日になっても死んだように眠り続ける直子に「また連絡して」と言い帰っていくワタナベ。

直子の心情はとても複雑で自分の愛する人たちが若くして突然、自ら命を絶って行く、しかし自分だけ彼らを追い越して大人になっていく現実が苦しかったんだろうし、どれだけキズキを愛していてお互い求めあっていたとしても気持ちと身体は違う反応しか返ってこない。そこで再会したワタナベに対してキズキとあれだけ試みてもダメだった事を初めて体験することで生きているという実感を得る事が出来たのにあの一言の為に更に直子自身が更に苦しむことになってしまったのではないか。

この作品と関係ないんだけど書いていてふと思い出したのが「誰かが私にキスをした」のユウジ。
ユウジは最後は自分自身と対峙してなんとか歩き出そうとしたけれど直子にはそれができなかった。ユウジも愛する人(お兄さん)を失くした喪失感、何故自分ではなく兄が死ななければならなかったのかという自分の存在に対する罪悪感(彼が悪いわけでもなんでもないのに)に苦しみ病んでいったけれど、直子もまたその根本はユウジと同じなんじゃないかと。(ユウジの兄さんの場合は病死だけど)キズキが自殺した時も、最後に会ったのは直子ではなくてワタナベだった、直子には姉の死に続いての「裏切られ感」があったのかもしれない。だからワタナベに「どうしてキズキと寝なかったの」と言われた瞬間にワタナベにも「裏切られた」と感じてしまったのかもしれない…とこれは映画を見て改めて感じたなぁ。

そんな中でちょっとしか登場しないワタナベと同室の突撃隊。
寝ているワタナベに突然「ワタナベ君、鼻毛伸びてるよ汚いよ」。なんか気配がして目が覚めてあの顔が目の前にあるとそりゃ吃驚もしますよね(笑)潔癖な突撃隊のこのシーン、短いけれどいい味出しています。これも原作だと直子に自分の日常生活について語る時に突撃隊のエピソードを話したりする一つなんですよね。なかなか面白いエピソードのある突撃隊だけど残念ながら映画しか知らない人にとって「突撃隊」と言う名前すら知ってもらえてないか…。(まぁここにそんなに時間を費やすとどんどん話が長くなるしね仕方ない、でも存在感は十分ありましたよ時生君)

直子がアパートを引き払い所在が分からなくなる。
夜、直子に手紙を書くワタナベ。このシーンの文字はケンイチがか実際書いているのかどうか分かりませんが、文字の雰囲気を村上春樹さんに極力似せて書いているらしいです。

033_20110115120546.jpg


なんとなく落ち込んでいるワタナベに向かって「今夜、女でも引っ掛けに行かないか?」と言う永沢さんに珍しくワタナベが「やりにいきますか」って意外な答えに永沢さんと笑いだす2人。このシーンなんだかいい感じなんですよね。持っていたドラムスティックをドラムのシンバルに笑いながら投げつける感じが。永沢さんのエピソードもかなりバッサリカットされているんだけど、愛読書が共通していると言う事で永沢はワタナベに対して好意を持っているんですよね。時々永沢とナンパに行って女性たちと一夜の情事を過ごす。この時のワタナベは直子には決して見せないような表情をしていますよね。一見どこにでもいそうな大学生って感じ?

047_20110115115931.jpg


玉鉄の永沢さんは私のイメージにピッタリでした。
ヘアースタイルも物腰もしゃべり方も…。でも原作愛読者の中でもあのナメクジのエピソードがないのがやはり残念だったりはします。でも実際映像にすると怖い&気持ち悪いだろうからやっぱなくてよかったかな?ケンイチがセックスシーンなどを覚悟していたのと同じように玉鉄も永沢を演じるからにはナメクジを飲む覚悟はしていたらしいですしね(笑)

ひたすらアルバイトに励み、ある日寮に帰ると突撃隊の置手紙が…この時残念なのがメモを取る手は多分ケンイチ本人じゃないんじゃないかなと。ケンイチの指が綺麗すぎる男優さんはこういう時困りますよね違いがはっきりわかっちゃうから…。貯まったバイト代で1人旅をするワタナベ、旅から戻ったある日、学食で緑に声をかけられる(原作では大学近くのレストランですが)。サングラスはイメージ通りだけど実際原作では映画よりももっと髪が短い(多分JAのケンちゃんよりもう少し長いという感じ?)でもなかなか予告などで見るよりも緑っぽい、あの禅問答のようなやり取りも想像通りな感じ。原作なら翌日会う約束をするのだが緑が現れず数日後、あの「ギリシャ悲劇」のくだりで遅れて授業に緑がやってきて映画の中の公園を歩きながらワタナベが「僕の時間を少し上げてその中で君を眠らせてあげたいくらいだ」と言う流れになります(笑)

030_20110115120144.jpg


映画の中では一応、歩きながら緑が「この前はごめんなさい」と言ってるんだけど、原作を知らない人には聞こえないか(印象に残らない)意味が分からないと思うんですけどね。緑は眠いんだと言う事はわかると思うんですけど。原作ではこの時に緑は色々自分について話したりしているんですよね。ナプキン(生理用品)の話もかなり面白いエピソードなんですけど残念ですね。(まぁなくても差し障りはない、ちゃーないんだけど)

その後初めて緑の自宅に招待されるワタナベ。
本当はもう少し料理のシーンを個人的には観たかったんだけど…
緑が関西風の味付けの料理を出してワタナベが驚く(ワタナベは関西出身だから東京人の緑が完璧な関西風の料理を作ることが不思議でたまらないんですよね)そして緑が料理に関して色々話すシーン(玉子焼のフライパンを買うために3ヶ月1枚のブラジャーで過ごした話など)そしてキスまでの流れで火事のシーンもないのは残念だったけど雨も官能的で静かな感じで良かったですね。緑の奔放な感じとはまた違う一面をワタナベは感じたと言うのか…

原作では緑の家に持って行ったのは水仙の花なんだけど(ワタナベが水仙の花が浮きなんですよね)映画ではナデシコですよね?これも何か映画的に意味があるのかしら?単にビジュアル的な問題かな?あまり深く考えちゃいけないかな?(笑)
 
個人的に映画の中で緑の花を生けた後布巾で水滴をふき取るシーンとか、後半出てくるワタナベからの電話を居留守を使うシーンで野菜を洗って切るシーンがとても好きだったりします。 あと、食事の後緑の家族の話を興味深く聞くワタナベの柔らかい表情もすごく好きです。

ショートケーキの話の後に原作の中で近所の火事を見ながら緑がこんなことを言っているんです
(近所の火事を見ながら)

「でも死ぬこと自体はちっとも怖くないわよ。それは本当。こんなの煙にまかれて気を失ってそのまま死んじゃうだけだもの、あっという間よ。全然怖くないわ。私の見てきたお母さんやら他の親戚の人の死に方に比べたらね。ねぇ、うちの親戚ってみんな大病して苦しみ抜いて死ぬのよ。なんだかどうもそういう血筋らしいの。死ぬまでにすごく時間がかかるわけ。最後の方は生きているのか死んでいるのかそれさえわからないくらい。残っている意識と言えば痛みと苦しみだけ」

「私が怖いのはね、そういうタイプの死なのよ。ゆっくりとゆっくりと死の影が生命の領域を侵蝕して、気がついたらうす暗くて何も見えなくなっていて、周りの人も私の事を生者よりは死者に近いと考えているような、そういう状況なのよ。そんなのって嫌よ。絶対に耐えられないわ、私」

直子は目の前で姉が自殺したりキズキが自殺したりしているけれど、それはある意味リアルなことではない(どういう形であれすでに相手は死んでいるわけで)。だから死に対してもリアル感を感じられないのかもしれないが緑はよりリアルに死を見てきていると言う事がこのシーンで読み取ることができますよね。既に死んでいる人を見ている直子と本当に苦しみ死んでいく人たちを看取る緑とでは緑はより生きる事の辛さ、残される人間の辛さ、生きるという事の大変さや大切さもリアルに感じている事が伺えます。

2人の女性の死生観の違いとショートケーキの後にこの話をすることでまた緑の違う一面を知ることができる、単にエキセントリックな女性ではなくて実際はとても家庭的でもあり現実を見ていると言うのかワタナベが今まで接してきた女性にはないタイプには間違いなかっただろう。そして緑自身も他の人にこういう話をすることがないのになぜだかワタナベには自分の事をさらけ出して話せてしまう。多分最初のあの禅問答のようなやり取りは緑のチャレンジ(賭け)だったのかもしれない。直子が身体を許したのと同じように緑は会話でワタナベと言う人間がどういう人間なのかを試したのだろう。

043_20110115120247.jpg


そしてそんな後にあのキスシーンがあるんだけど、とてもロマンティックで優しくて素敵なシーン、そして「私付き合っている人がいるの」「なんとなくしってた」「好きな人いるの?」「いるよ」原作でもとてもこの前後の描写の表現が好きですね。シュチエーションは違うけれど雨と2人の静かで穏やかなムードの中でのキスシーンも映画の中では名シーンの1つだと思います。希子ちゃんとケンイチの2人のシーンの顔のアップの時どうしても鼻に目が行くんですよ(笑)希子ちゃんの鼻は可愛いなとか、ケンイチの鼻は大きいなとか(変な意味ではないのであしからず)凜子ちゃんとケンイチの2人のシーンの顔のアップの時には目に視線が行くことが多いですね。

緑がワタナベのバイト先のレコードショップにいるシーン、妙に官能的でワタナベの表情がこれまた見たことないような色気のある表情をしています。音楽も効果的だし。

直子から手紙が届き、療養所に行くワタナベ。
そこで直子と同室のレイコと出会う。部屋に案内され1人でまどろんでいるワタナベが見ていたのは高校生の自分とキズキとの思い出。2人で美味しそうに桃を食べている、このシーンは原作にはないシーンです。原作ではキズキとバイクでツーリングした時の夢を見ているんですけど、そういえばバイクに乗っているシーンを撮影していたはずなのに本編では流れてなかったですよね?あれはどういうシーンだったんだろう?このシーンの為に撮影したけどやめたと言う事なのかしら?2人で瑞々しい桃を食べているのはどういう意味があるのかしら?あの桃はひょっとして直子をイメージしてるのか?(考えが飛躍し過ぎ?)

051.jpg


そして気配を感じて目覚めるワタナベのこの時の無防備と言うか色っぽいと言うか表情が素晴らしい、特に口元と目の表情がたまりませんねえ。静かな空間で直子がささやくように「寝てた?」「いや…」「元気?」と鼻にかかった声がキュンとします(爆)ひそひそと囁くように会話をする2人が奇麗でありそして儚げであり…まるで目が覚めてもまだ夢の中にいるように感じているワタナベの表情が見ている私も思わず息を止めてしまいそうになるシーンです。

夜、ロウソクの灯の中でレイコさんの弾き語る「ノルウェイの森」を聞いてると突然直子の様子に変化が。この時、レイコさんはギターを弾き語りながらもずーっと直子の様子を見ているんですよね。最初は穏やかな表情で歌っているレイコさんだけど直子の変化にレイコさんの表情も変化していきます、この辺も上手いなぁと。レイコさんにいわれしばらく外に出て行くワタナベ。外気の寒さとどうする事も出来ない無力感の様なものにいらだちを感じました。戻ると既に部屋は静かでどうやら2人とも寝た様子、この時代携帯電話もないから「落ち着いたから戻っていいよ」な~んて連絡はできませんからね。

夜中ふと目が覚めると目の前に直子がいた。何が起こるのか静かに見ているワタナベの顔に近づく直子。キスをしようとする直子に近づくたびに離れようとする直子になされるがままになるワタナベ。愛撫されるが結局それ以上進むことはできず直子は戻っていく。

朝、直子に起こされ外に連れ出されたワタナベに「どうしてキズキと寝なかったのかって訊いたわよね?まだそのこと知りたい?」「多分知っていた方がいいんだろうね」このシーンは原作では上記のレイコさんの弾き語りを聞いている時に話出しますが、映画はより効果的に2人きりで朝霧(実際は夕方撮影)の中で歩きながら緊迫した状況で表現されています。ここでもやはり直子はワタナベに向かって話しているんだろうけどそこにワタナベを感じてないかのようにひたすら歩き話し続けていて直子の話を聞こうと必死についていくワタナベ。

049_20110115172923.jpg


段々気持ちが高ぶってくる直子、でもキズキの話を聞きながら何をどうすればいいのか整理ができずにいるワタナベとの表情の対比、そして何か箍が外れたように混乱・錯乱した直子が走り出す。でもワタナベはしばらく混乱しいているようで「はっ!」としたように直子に気付き直子の所には近づいていく。必死手直子を抱きしめて受け止めようとするワタナベと混乱する直子の姿は何度見てもゾワゾワ~としてそして哀しくもあります。

何とか部屋に戻る2人をレイコさんが心配して、その後3人でお茶を飲みながらレイコさんに何があったか問い正されるワタナベ。

「白状しなさい、一体2人で何をしてたの?あんな時間に外に出て、ほとんど裸で帰ってきて」
「そんなこと言えない…やったわよ(この時のワタナベは多分夜中の出来事の事だと思ってああいう表情になっちゃってる)でも上手くいかなかった(動揺するワタナベ) 」
「それどういうこと?」
「ワタナベくんのがあまりに大き過ぎたから…入らなかったの、何せ私は7年もご無沙汰していたわけだからアソコが詰まっちゃってて…フッ(レイコと直子が笑いだし、ワタナベは「あれ?なんか変だな?」という違う意味で戸惑った表情が良いですよね)」
「ん?」
「これ、ワタナベくんがする前の晩にレイコさんが見た夢の話なの」
「ボクが夢に?」
「あなたってことじゃないの、知らない男よ(笑う女性2人にワタナベは「やれやれ」といった表情)忘れないでね私たち普通じゃないの 」
「みたいですね… 」

058.jpg


観客に対してのレイコさんに関する情報は阿美寮に初めて来たときに7年ここにいるという事と、この時の会話のやり取りだけになっています。具体的な情報が絶対的に足りないと原作を読む人にとっては不満足かもしれませんがレイコさんが主役ではないので突撃隊同様あまり個人的な情報を入れないでこういう部分で7年前に何かあってここに居続けている人だという事だけを知らせているんですね。(あとは最後ワタナベの家のシーンにつづく)先ほどまでの錯乱した直子と違い、屈託なく笑う姿をワタナベ自身もかなり戸惑ったのかもしれませんね。

でもこの話一部分は緑がワタナベに話すときに使うフレーズなんだけど…(笑)
ここでそういうのを使ったのかぁという感じ。ワタナベの最初ぐったりした感じのリアクションが話が進んでいくと途中から「ん?あれ?なんか話がおかしくないかい?」となっていく表情が面白いですよね。(まぁ夜中に確かに直子が試みようとした事を考えて最初はああいう表情だったのかもしれないけど)

草原の中を散歩する直子とワタナベ、すごい風は2人の心のざわめきを表現しているのだろうか…2人の表情は穏やかなのにそれにたいして風が凄く吹いているのは2人の揺れ動く気持ちの表れを表現しているのだろうか…

私はこの一連のシーンが結構好きなんだけど、映画でとても残念だったのは座ったまま「私と寝たい?」「もちろん」「今固くなってる?」「足の裏の事?」と言うシーンが進んでいったのがねぇ~。やはりここでのポイントは寝ころんでなくちゃねぇ?原作で直子が「正直いうとさっきからそれすごくゴツゴツしてて痛いのよ」と言うフレーズがあってそれが好きなんだけど(変な意味ではなくてね)行為が終わった後もまるで普通に「これで少し楽に歩けるようになった?」「おかげさまで」と言うやり取りがなんだか変と言えば変だけどなんだか好きなんですよね淡々としてて。 でも映画の中ではこの2人がなんだかとてもピュアに見えて愛おしくも感じるし、哀しくもあり…。

寮に戻って来てから相変わらずの日々を過ごす。
プールサイドに佇むワタナベの姿はあまりに美しすぎて…(最初の方のクロールを泳ぐ姿も本当に綺麗)
緑とのやり取りもワタナベの特徴でもある「やれやれ」言葉にこそ出てこないけれど色んなシーンで私はワタナベの表情だけで「やれやれ」と聞こえてきましたね(笑)
緑が寮に来たり、そしてある時は緑に連れられて行った場所は病院でそこには緑の父親が入院していた。

そしてバイトに明け暮れるワタナベだが、ここでも音楽が効果的に使われていますよね、それまで音楽が流れていたのに受話器を取った瞬間音楽も切れ静寂になる、緑の父親が死んだとの電話。(こういう手法、「誰キス」の時も効果的に使われていましたね)原作ファンの多くはこの緑の父親とワタナベのシーンに思い入れの強い人もいますがこれもバッサリカット(笑)ここで緑の心情を察して優しく接するワタナベ。この時のワタナベの表情もいいですよね。

撮影時も出番じゃないのにこのシーンの為に撮影現場にケンイチはやってきて電話のやり取りをしてくださったそうで…。

053_20110115222559.jpg


でも考えれば「ウルミラ」の時も「ライブチャット」の時もいつもケンイチはそうしていますよね。画面に映る事もないのにその役の衣装を着てそのキャラクターになって電話の相手をするんですよね。希子ちゃんのあの嗚咽は緑と言う人間の姿をよく表現しているなと思いました。「ポルノ映画に連れて行って」ワタナベだから言える言葉、それを優しく受け止めてくれるワタナベなんですけどね。とはいえ、私のイメージでは結構、この時の緑は淡々とした感じで話していたんですけど、映画ではしっとりとした感じになっていました。

バイト先で掌を切ってしまうワタナベ、滴り落ちる血を見つめるワタナベ。この時のワタナベの横顔と衣装が結構自分的にはツボだったりする(笑)

寮で永沢と会話、外務省に入省することが決まった永沢にハツミさんとのことはどうするんだと尋ねるがまるで他人事のように「それはハツミの問題であって俺の問題じゃない」と意外な答えに驚くワタナベ(この時の最初の方の柔らかい目つきが徐々に変化して行く様がまたすごいんです。表情はさほど変化してないんだけどね。)。時々傷を巻いている包帯の匂いを嗅ぐワタナベ。「ひどい男だと思うか俺の事?」と言う永沢に対して即答で「はい」と応えるワタナベ。この時のワタナベの表情と言葉はいつになく感情的であり、ふと感じたのは自分は直子の為になんとかしてあげたいと思っていいるのに、永沢は自分の事なのにまるで他人事のようにふるまっているギャップに対しての感情を感じた。

024_20110115172201.jpg


そしてハツミと永沢とワタナベの3人でレストランで永沢の就職祝いをするシーン。
これも原作のイメージにピッタリで、表情を変えずに永沢の話を聞くハツミ。ワタナベが永沢と一緒にナンパした女性を取り換えた話をさせられる。その時も表情は変えずに声のトーンだけ若干変えて永沢が話そうとするのを「ワタナベ君に聞いてるの」と荒げていうのは本当にイメージ通りだった。そして話をふられたワタナベのあの原作での居心地の悪さが良く表情が出ていたかな(笑)怒ったハツミがお店を出て行くシーン、ワタナベにタクシーで送らせるんだけど原作ではビリヤードをするんだけどその時にワタナベはハツミさんにキズキの話を少しするんですよねでも死因を「交通事故」と言って「自殺」とは言わなかった。

普通の愛と家庭を求めていたハツミは結局他の人と結婚するがそれも続かず自殺した。
結局ハツミもまた映画の最初のアンドロマケの「愛する者に愛されないという一方通行の愛の連鎖とそれが生み出す悲劇」の犠牲者だったのかもしれませんね。

でも、実際は永沢さんは永沢さんなりのハツミさんに対しての愛し方があり、ハツミさんが本当に永沢さんを受け入れていればきっと違う未来があったのではないかと思います。永沢も決して他力本願的にハツミさんを突き放したりしているんじゃなくてハツミさんにとっても永沢にとってもお互いの存在がどうなのかをこれまた試していたのかもしれません。

このレストランのシーン、良いんだけど残念なことが…
ワタナベの包帯が逆に巻かれているんですよね(汗)せっかく良いシーンなのにちょっと残念…?

そして久しぶりにBARで緑と会うシーン、この時のバーのマスターが村上春樹さんに似ていると話題になっておりますが実際はどうなんでしょう?(笑)声もなんだか似てるような気がしてくるんですけど…(汗) ケンイチのファンはどうしても「青森に行ったことある?」に反応しちゃいますよね。原作では緑は弘前にいる友人に会って下北や竜飛などに行ったと、何度読んでも結構これ以外にも松友が原作を読むとニヤニヤしちゃいそうなケンちゃんアイテムが偶然だけど出てくるんですよね~、やはりこの役は彼しかできないんじゃないかって感じで(笑)

BARのシーン


原作ではこの後2人でポルノ映画を見に行って原作愛好者の好きなシーンの一つ「春のクマくらい好きだよ」のシーンになるんだけど映画では緑がワタナベの「頼むよ、場所わきまえてくれよ」の言葉にガッカリしてワタナベをシカトすることになるんだけど原作でのこのシーンは寮を出て一人住まいした事を緑にすぐ言わなかったことが発端になっていてそれからしばらくワタナベは緑からも直子からも距離ができて精神的にしんどかった事を吐露していました。作品的にもこのシーンは重要でしかしあまり長く引っ張る事も出来ないだけに監督かなり考えを練り込んだんじゃないかとおもいました。ワタナベの中で緑という存在が少しずつ大きくなってきたと同時に直子に対してどうする事も出来ない感情的にjかなり追い込まれた状態。

緑に度々電話をしても居留守を決め込まれたりした中での20歳の誕生日、もう見ててもまるで生きた屍みたいな状態でゆで卵を作って直子からの手紙を読む。不安定な感情が部屋にも反映されていますね。この作品の中でゆでたまごというのはワタナベという人間いや、この作品に登場する全てのキャラクターのメタファーなのだろう。ワタナベが精神的に追い込まれた場所には必ずゆで卵があるんですよね。『壁と卵のスピーチ』のメッセージを盛り込んでいる?
精神的に追い込まれながらも自分の居場所を傷の皮を剥きながら痛みと同時に滴る血を見ながら生を確認しているかのようなワタナベのシーンです。誕生プレゼントのマフラーを巻いてベットで眠りつくワタナベ。

この手紙のシーン、時々卵と蜘蛛、棘などがインサートされています。これもワタナベの直子と緑の狭間で雁字搦めになっている自分の気持と非力さ、直子に「緑はあなたのことが好きなんじゃないか」と言われた後再び棘のインサート映像が直子の心情を表現しいているんじゃないかと思うんですけどね。

冬、ワタナベは直子に会いに行く。求めあうかのように走って再会する。性交を試みるがやはり直子の身体はワタナベをうけいれる事ができない。そしてそんな自分に対してワタナベの優しい言葉に苦しむ直子は感情が抑えられなくなる。
「どうして私に構うの?わたしみたいな人間にかかわらないで…あなたはあなた自身の人生を生きるべきじゃない?」
「そんな…それは違うよ。僕はそんな風に思ってはいないよ」
「あなた、自分に嘘ついていると思わないの?私の事はほおっておいて…あの誕生日の日そうするべきだったのよ(抱き寄せようとするワタナベに)触らないで!あなたおかしいじゃないいの!触らないでよどっかに行って!」
「落ち着いて!」
「あなたの存在が私を苦しめるのよ!どうしてわからないの!?どうして…」

ワタナベが自分を受け入れようと優しく接してくれればくれるほど直子はそれに応える事ができない事や、緑の存在と彼女に対する嫉妬のような感情?に対して自分のワタナベに対しての感情をどうすればいいのか分からなくなって彼女の闇の部分が更に深くなって行ったのかもしれない。ワタナベの優しさが更に直子を傷つけていることをワタナベには分からない。

寮を出て引越しをしたワタナベだけどもう完全に廃人みたいな状態。
レイコさんから届いた手紙の内容を読んで直子の病状に涙し、相変わらず緑にも拒否され続け自暴自棄状態。
完全に永沢さんの言っていた「自分の同情するな、自分に同情する奴は下劣な奴のすることだ」まさに今のワタナベはその言葉のままという感じ(ーー゛)

レイコさんの手紙を思い出し(映像ではレイコさんのナレーションが入っているが)ベットに仰向けになっているワタナベの目が見る見るうちに潤んできて涙が流れるシーン、ライティングの関係で非常に分かり難いかも知れませんがこの時の直子・レイコ・ワタナベそれぞれの苦しみが伝わるシーンだなと。

どちらに対してもどうすることができないワタナベ、直子も同様にどうしようもない世界に引き込まれそうになっているし、そんな苦しい中でワタナベは死んだキズキに対して「なあ、キズキお前と違って俺は生きることに決めたんだ。そして俺なりにきちんと生きようと思ってる。お前だってきっと辛かっただろう、でも俺だってかなりきついんだ。それというのも、お前が直子を残して1人で先に死んでいったからだ。だけど俺は彼女を絶対見捨てない…なぜなら俺は彼女が好きだからだ。そして今よりももっと強くなる…俺は…大人になるんだ」 でも大人になるってどういう事なんだろうね。


ようやく仲直りする緑とワタナベ、屋上で緑から告白され自分の気持ちを素直伝えるワタナベ、緑に「抱きしめて」と言われて抱きしめた時のワタナベの本当にホッとしたような安心したような表情は原作とは違うけれどワタナベの弱さが言葉に込められていて緑に助けを求めているように感じ、それを緑も受け止めるのは母性を感じましたね。

032_20110115172324.jpg


しかし直子が死んだ。空中に浮いている直子の足…ワタナベは1人悲しみにくれる。
どんだけ大きな声で叫んで泣いても泣いても直子死んだ事実を失くすことはできないし、そんな悲しみの中でもやはりゆで卵が…。この時所々に生前の直子と草原を歩いているシーンなどが挿入されているんだけど、このシーンは井戸の話を示唆しいているんじゃないかと私は勝手に思っております。

055_20110115223313.jpg

傷心のままアパートに戻るワタナベだが玄関にはレイコさんの姿があった。この時のワタナベの表情はまるで直子の亡霊でも見るかのような表情をしているように感じた。汚れた身体を奇麗にして、食事をし、2人とも泣きながら(レイコさんはギターを弾きそれを聞いて涙しているワタナベ)直子のお葬式をする、そして自分のこれからの事をワタナベに話すレイコさんが意を決したようにワタナベにお願いをする「自分と寝て欲しい」と。

この時のワタナベの「本当にするんですか?」という言葉。言葉だけ聞くとワタナベがレイコさんから突然言われて単純に戸惑っているように思えるんだけどこの時、言葉に騙されないでほしいんです、この時のワタナベの表情と目を見てほしいんです。これはレイコさんの事を心配しているのとワタナベ自身の不安な気持ちなのではないかと。レイコさんはこの時レイコさん自身でもあるけれど直子でもあったんだと。そしてワタナベももし、レイコさんとセックスをすることでまたあの誕生日の時の直子のようにレイコさんも失ってしまうのではないかという気持ちがあったんじゃないか。そしてそれはワタナベにとっても挑戦のようなものだったんじゃないかと。
しかしあの言葉もある意味原作の「僕も同じことを考えていました」と同じ感覚を感じました。

レイコさん自身も自分の中にある暗い森から抜けだそうとするために決死の思いでワタナベにお願いしたんだよね。
まぁ、下着のままでとか言うけれど、実際原作でも4回位性交していますからあの映像が一体何回目なのかなんてわからんないでしょ?だからそんなことをああだこうだ言うことはナンセンスなわけで… 「七年前に亡くしたものを取り戻せたわありがとう」レイコさんの足のアップは地に足がついている(=生を選択したという感じ?)のは直子との対比とその後の描写もワタナベ=生の象徴、レイコはワタナベと関係を持つことで直子=死の象徴から自ら生の道へ踏み出したのだと。

アパートの入り口で別れる2人。ワタナベによって生きる決意をしたレイコは「自分と直子の分も幸せになりなさい」と告げ新しい自分の人生に向かって歩きだした。そしてワタナベも緑に電話をする。

056.jpg


「緑僕だよ…緑君と会って話がしたい、何もかも2人で最初から始めたい…君以外求めるものはないよ…あいしてる」
「今どこにいるの」
「えっ?」
「今どこにいるの」
「僕は今どこにいるんだろう」

キズキと直子が迷い込んだ暗い死の森を抜けだしたワタナベは劇中の最初の直子が「ここは・・・どこ」と同じように自分が今どこに一体いるのか失った道標を新たに歩く緑に探していたのだろう。

季節が移り変わるごとに僕と死者との距離は離れて行く
キズキは永遠に17歳だし
直子は永遠に21歳だ

止まっていたワタナベの人生の時計が再び動き出したように感じた最後の言葉でした。
僕と死者の距離…単純に年を重ねて行くだけではなく、どれだけ悲しく、大切で、愛して、忘れたくないことだったとしても年月とともにその記憶すらも徐々に薄れて行くそれができるから人間は生きていけるのかもしれない。そしてこの最後の言葉と「ノルウェイの森」が流れた時、原作冒頭のボーイングに乗っている37歳のワタナベを感じました。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
はじめまして
こんばんは!はじめまして。たまに読ませて頂いてます! 

ノルウェイの森、私も観ました、気に入ったシーン、わかるわかるって思いながら読ませて頂きました。 
そこであえて質問なんですが個人的に、気に入らないシーンやここはちょっとなシーンてありましたか?


もし良かったら教えて下さい(^-^)
2010/12/14(火) 02:17 | URL | 杉さん #-[編集]
Re: はじめまして
杉さん、はじめまして<(_ _)>

> こんばんは!はじめまして。たまに読ませて頂いてます! 

有難うございます(^-^)

> ノルウェイの森、私も観ました、気に入ったシーン、わかるわかるって思いながら読ませて頂きました。 
> そこであえて質問なんですが個人的に、気に入らないシーンやここはちょっとなシーンてありましたか?

はい、全くないなんてことはないです(笑)
これはまた書きたいと思っておりますのでもうしばらくお待ちください。

良かったら是非杉さんの感想も教えていただけると嬉しいですね~。
みんながどんなふうにこの作品を見て感じたか知りたいですもんね。

みんなで色々話すことで自分が気がつかなかった事を知ることもできるだろうし、感じなかった事、相手が感じなかった事もわかって何度も見る時のポイントにもなってより「ノル森」と言う作品を楽しめたらいいなと思っています。

> もし良かったら教えて下さい(^-^)

しばしお待ちくださいね~。
2010/12/14(火) 10:45 | URL | K&R #hTYNULE6[編集]
助けていただいてます
はじめまして♪時々見せていただいてます!
ケンさん情報沢山ですごく嬉しいです!

この映画は、1シーン1シーンに色んな意味が含まれていて、観たあとで「あれはどういうことなんだろう?」と随分悩まされて、あちこちに解説してくれてる方を見つけて読んで納得!
そんなことを続けつつ4回観ました。

その時に、レイコさんの足のカットがすごく気になり、ココを見つけて「そうか!!」とすっきりさせていただきました。
ありがとうございます!

そして、あの逆の包帯・・・気になってるんです。
「あ、間違えちゃった、ま、いいっか」
て監督がOK出すはずも無いんじゃないかと・・・
どのように思われますか?




2011/02/02(水) 12:10 | URL | ゆうゆ #BqfhpIYE[編集]
Re: 助けていただいてます
ゆうゆさん、訪問&コメントありがとうございます<(_ _)>

> ケンさん情報沢山ですごく嬉しいです!

これからも御贔屓に(^-^)

> この映画は、1シーン1シーンに色んな意味が含まれていて、観たあとで「あれはどういうことなんだろう?」と随分悩まされて、あちこちに解説してくれてる方を見つけて読んで納得!
> そんなことを続けつつ4回観ました。

素敵ですね~、というかそういうのって本当にblogを書いていて嬉しい言葉だと思います。
作品に興味を持って、わからない部分を色々探して自分なりに納得するという行為も映画の醍醐味だと思うんですよね。せっかく素敵な作品だと自分が思っていてもそう思わない人たちがいることってなんだかとても残念な気がしませんか?そういう人が少しでも興味を持ってもらえると嬉しいなと思っているんですけど…

> その時に、レイコさんの足のカットがすごく気になり、ココを見つけて「そうか!!」とすっきりさせていただきました。
> ありがとうございます!

あくまでも私の解釈なんですけど(汗)そう言っていただけて嬉しいです。

> そして、あの逆の包帯・・・気になってるんです。
> 「あ、間違えちゃった、ま、いいっか」
> て監督がOK出すはずも無いんじゃないかと・・・
> どのように思われますか?

どうしたんでしょうね?結構気になっている人は多いみたいですけど…。
トラン監督からすると珍しいミス?それとも見ている私たちを確かめているのか?とかアハハ
ちゃんと作品を見ているかって。もしそうならすごいけどまぁ、あまり手元映らないし良いかと思ったのでしょうかね?

ツイッターなどでもかなりそのシーンのことつぶやいている人がいるんですけどスタッフからのアンサーなどはないので…。(同じようにバーのマスターが本当に村上春樹氏なのかそうじゃないのかもYESともNOともアンサーはないんですよね)

でもそれもまた楽しという事で…DVDが出た時メイキングでなんか言及とかないかなぁ~
2011/02/02(水) 12:50 | URL | K&R #hTYNULE6[編集]
URL :
コメント :
パスワード :
管理者にだけ表示を許可する
 
Template designed by アクセラと+αな生活(ホノミ)

Powered by .